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東郷さんこんにちは。セイブンです。 前回のメルマガでは、今現在に至るまで僕がずっとアメリカで生活をする様になったきっか けをお話しました。 書いていて、僕自身が感動してしまいまし た。 それって、ちょっとバカ(笑)? ちょっとバカだなん て、そんな事ないヨ、セイブンさん.....。 なんて言って くれる人がいるから、励ましてくれてるのかと思ったら、「ちょっ とバカだなんて事はないヨ。ちょっとじゃなくて、とってもバカだ ヨ」なんて続けられて、ガッカリ(笑)。 マア、冗談はこの位 にして、さっそく今回の記事を始めましょう。 今日は、僕が幼 い頃に過ごした、イギリスの事。当時のイギリスと、そこで暮らし た年月の生活について書きたいと思います。 家の都合で、イギ リスに...その話を聞いた時、僕は中学二年生。 イギリスに 住むんだヨ!と言われても、それがどういう事なのか、よくわから なかったのを覚えています。 同じ外国でも、「アメリカ」とい うのは、各種メディアを通してイメージが盛んに僕の心に流れ込ん で来ていました。それで、子供心にも、「アメリカって多分、こん な感じ....」という印象をつくり上げていました。 それで 、そのアメリカのイメージを使って考え、「アメリカ」の小型版み たいなのが「イギリス」なのかな?などと想像していました。 今になって見れば、アメリカだろうがイギリスだろうが、どっち道 、何も知らなかったのですが。 わからないまま、その日が来て 、父親以外の家族と一緒に飛行機に乗って、イギリスに飛びました 。 現地では、父親がすでに貸し家を用意していて、その家に住 み始めました。 その家は、イギリスのケント州という、ロンド ン郊外の地域にありました。 電車(英国の国鉄)の最寄りの駅 は、チズルハーストという名の駅でした。 飛行機でイギリスに 飛び、貸し家に到着したその日は、確か雪が降っていた様に記憶し ています。 なにしろ、何十年も昔の事なので、時系列の通りに 記憶をたどっていくのは難しいと思います。 なので、時系列に ついては気にせずに、記憶がよみがえるままに書いていきたいと思 います。 イギリスで、僕が何よりも大きな影響を受けたのは、 音楽でした。 日本では、すでにビートルズの大ファンで、友達 とバンドをつくって歌い、ハーモニカを吹いていましたが、ビート ルズ以外には、音楽の事は大して知りませんでした。 イギリス に住み始めてからも、しばらくは頭の中はビートルズ一色でしたが 、やがて、当時のイギリスの音楽に親しみ始めました。 毎週、 木曜日(多分)の7時半(多分)に、BBC(イギリス国営放送) テレビで「The Top of The Pops」 というヒ ットチャート番組があって、それを欠かさず見ました。 当時の イギリスは、「パンクロック」という独特な音楽が、そのライフス タイルやファッションと共に目立ち、際立っていました。 その 代表的なバンドは、ジャム、クラッシュ、シャム69、ダムド、ス トラングラーズ、スキっズ、Xレイスペックス、ブロンディー、セ ックス・ピストルズ、ブームタウン・ラッツ、バズコックス、ラモ ーンズ....その気なら、まだまだ続ける事ができます。 そ の一方で、ビージーズ、エレクトリック・ライト・オーケストラ、 エルヴィス・コステロ、イアン・デュリー&ザ・ブロックヘッズ、 ドクター・フィールグッド、ボブ・マーリー、スティール・パルス 、ボニー・M、ゲイリー・ニューマン、スペシャルズなどの、様々 な音楽スタイルの多種多様なバンドやミュージシャン達が、入れ替 わり立ち替わり、ヒットチャートを賑わせていました。 他にも 、クイーン、モーターヘッド、ホワイトスネーク、アンダートーン ズ、ドナ・サマー、ポール・マッカートニー&ザ・ウィングス、ス パークス、ジルテッド・ジョン、アバ、パブリック・イメージ・リ ミテッド、リズィロー、ジョン・ポール・ヤング、 デイヴィッド ・エセックス、ラッツ、デイヴィッド・ボウイー、ダーツ、ローリ ング・ストーンズ、ニック・ロウ、シン・リジー、リーナ・ラヴィ ッチ.....。 こうやって、思い出す名前を片っ端から並べ ていくと、それだけで今回のメルマガが終わってしまいますので、 この辺にしますが...... 新旧のミュージシャン達が、大 ベテランから一発屋まで、現れては消え、現れては消え、メチャク チャに活気があって面白かったのが、当時のイギリスの音楽シーン でした。 ヒットチャートや、目立った流行とは別のところで、 当時からすればひと昔前の英米の大物ミュージシャン達の音楽にも 出会いました。 ジミ・ヘンドリックスは、ラジオの特集番組で 聴いて知りました。 ボブ・ディランも、そうだったからな。 レッド・ゼッペリンは、隣りの家に遊びに行った時、LPを聴いて 。 僕はイギリスの男子校に通っていたのですが、その学校の同 級生が僕の家の隣りに住んでいました。名前が、ティム(=ティモ シー)。 その彼のレコード・プレイヤーで、レッド・ゼッペリ ンのセカンド・アルバムを聴きました。 ドアーズ、ザ・フー、 キンクスは、何と、オープンリールの個人録音テープで初めて聴き ました。 家の近くにある教会のバザーで、オープンリールのテ ープがたくさん、プレイヤーと一緒に安く売っていた。それをゴソ ッと買って来て。 ディープ・パープルは、図書館でレコードを 借りて聴きました。 当時イギリスで受けた、音楽の影響が、そ の後の人生での僕の音楽生活を完全に決定しました。 今でこそ アメリカに住んで生活している僕ですが、当時はアメリカになんか 、全然興味がありませんでした。 理由。音楽がつまらなかった から。イギリスに住んでいて、ラジオで「アメリカン・トップ40 」なんて番組を時々聴くと、もう退屈で退屈で仕方がありませんで した。 逆から言えば、当時のイギリスで僕が楽しんでいた音楽 生活が、どれほどにか活気があって、エネルギーに満ちていて、エ キサイティングだった...という事ですね。 でも音楽以外で は、当時のイギリスでの生活は、僕にとって、それほど楽しくはあ りませんでした。 けれどもそれは、当時の事です。 今また 、イギリスに行って住んだら、いろんな意味で、かなり違うんじゃ ないかと思います。 ロンドンの街を、ひとりでグルグル、果て しなく歩いていた事を思い出します。 イギリスの、普通の現地 学校に通い始める前に、僕はロンドンにある、バーリッツという英 語学校に通っていた日々がありました。 その学校での数時間の クラスが終わると、どこに行くともなく、脚の向くままに延々と歩 いていました。 それまでずっと日本にだけいて、しかも子供な ので、家族と一緒に住んでいる地域とその周辺位が、個人的にも、 せいぜいの活動範囲。 その僕が、日本を出てイギリスに住み、 ひとりで異国の街をくまなく歩いていた。いい体験でした。 あ れは確実に、僕という人間の人格形成に大きな影響を与えました。 ある意味では、僕の中の一部分は今でも、ひとりでロンドンの 街を歩き回っているのかも知れません。 でもいずれにせよ、当 時イギリスで生活をして、ある程度の英語力を身につけました。 同時に、日本国内向けにとどまらない、海外でもそれなりに振る 舞える自己アイデンティティ、パーソナリティを形成しました。 それがのちに、僕がアメリカで暮らす為の土台となりました。 英語については、長い長い間、イギリスの英語しか知らず、初め てアメリカを訪れた時も、現地の人達とは違う英語をしゃべってい ました。 今でも、僕のアメリカ英語はつけ焼き刃で、アメリカ 人みたいにしゃべろうとして、失敗している英語だと思います。 話をイギリスに戻すと、僕は結局、2年弱ほどイギリスで生活し ました。そして、又家族の都合により、一家でイギリスを去り、日 本での生活が再び始まりました。 けれども、イギリスでの生活 を通して、目には見えないところで、内面的・精神的・文化的にか なり変わってしまっていたので、それ以降の日本での生活は、いつ もどこか、ギクシャクしていました。 結局、日本の日本人女性 ではないイタリア人ハーフの女性と結婚をして、アメリカでの生活 に落ち着いたのも、その辺かも知れません。 でも僕は、これま での自分の人生体験のすべてに感謝しています。 これまでの人 生のすべてが、すべてあったがままにあったからこそ、今の僕がい る...のですから。 東郷さん、今日の記事は、懐かしくも大 事な大事な、僕の人生の第一の転機になった体験。十代初めの、イ ギリスでの生活の記事でした。子供の頃のイギリスでの生活を、僕 自身と一緒にたどって下さって、ありがとうございました。 と は言っても、生活それ自体の話よりも、趣味の音楽に走ってしまい 、単なる音楽の話題がかなりの割合を占めてしまいましたが... .。 けど、東郷さんも、音楽が大好きなの、よく知ってますよ ! 楽しんで頂けたかと思います。楽しんでもらえたなら、うれ しいです。 じゃア、東郷さん、又書きますね。 お元気で! すぐ又!さようなら!
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