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東郷さん!お元気でいましたか? こんにちは!セイブンです!今日は、「生を10日間ですっかり変えてしまった、初めての アメリカ旅行」というタイトルで、メルマガをお届けしようと思い ます。 ヘエー!10日程度、観光旅行した位で、人生変わるも んなのかねエ。一体、その10日間に何があって、どう変わったん だい? 興味津々のご質問、どうもありがとう。マア、その質問 だって、僕が自分で書いているんですけど(笑)。 でもここは ひとつ、そんな細かい事はいちいち気にしないで、本題のストーリ ーを始めましょう。 今から23年前。僕は、アメリカに住む事 はおろか、アメリカに旅行する事さえも全く心にないまま、日本で 暮らしていました。 日本で生まれて日本で育ち、ずっと日本で 暮らして来た。これからもずっと日本で暮らしていくのだ。 当 たり前の様に、そう思っていました。日本で生まれ育って、ずっと 日本で日常生活を送っている日本人はほぼ例外なく、みんなそう思 っているでしょ? 僕自身も、そうだったんです。 ただ、僕 は家の都合で、中学生の頃にイギリスで約2年ほど暮らしていまし たが、だからゆくゆくはイギリスに住もう....という気持ちも 、いずれは海外で生活しよう....という思いもありませんでし た。 そんなある日の夜、ある友人から、電話がかかって来まし た。 「オレ、アメリカに旅行したいんだヨ。現地でレンタカー 借りて、方々を回りたい。でもオレ、英語が全然ダメ。オマエ、確 か子供の頃イギリスに住んでて、英語できたよな。一緒に行かない か?」 面白そうだ....。そう思った僕は、「行こう!」と 即、承諾しました。 この瞬間すでに、当時の僕にとっての未来 の生活、つまり今の僕のアメリカ生活が決定していたのですが、そ んな事は当時、もちろん想像もしていませんでした。 そして、 その日が来て、僕と友人は飛行機に乗り込み、アメリカへと飛び立 って行きました。 そして、飛行機は目的地に到着。 着いた のは、ニュー・メキシコ州のアルバカーキー空港でした。 「何 それ?LAとか、ニューヨークとかじゃないの?ニューメキシコ? アルバ....何とか?どうしてそんな、へんぴなとこに行ったの ?」 実は、僕と友人は、アメリカの原住民に会いたいという思 いを持って、アメリカ旅行を計画していました。 かつて白人が ヨーロッパからアメリカにやって来て、自分達の国をつくった。そ の前にすでに、ずっとアメリカに住んでいた先住民。いわゆる、イ ンディアンです。 アメリカ原住民というのは、今でも、アメリ カ全土のあちこちに住んでいるのですが、僕と友人は、その多くの 部族の中でも、ナヴァホ族と、ホピ族の人達に会いたいと思ってい ました。 それで、そのふたつの部族ゆかりの地、ニューメキシ コ州とコロラド州を目指して出かけていった訳です。 結果から 言うと、僕は空港に降りたその時から、すでにその地域に深い愛着 を感じていました。 あの感じは、何とも言葉には説明できませ ん。初めて訪れた異国の地。なのに、むしょうに親しみがあって、 懐かしい。不思議な事ですが、本当にそうだったのです。 空港 には夜分に到着したので、その日はまだどこも回ってはおらず、何 も見てはいませんでした。けれども僕はもうすでに、感じるところ 、大いにあり.....でした。 次の日から、友人とふたりで 、車でのアメリカ旅行を始めました。 僕はもうすでに、その地 域の何とも言えない独特な雰囲気が大好きになっていたので、どこ に行っても、何を見ても、うれしくて楽しくて仕方がありませんで した。 そして先に書いた、その不思議な印象は、僕がどこに行 こうと何をしていようとついて来て、いつも僕の心に満ちていまし た。 けれども、アメリカに向かう為に日本の空港で友人と落ち 合った、その旅行の最初の瞬間から、その同行の友人の振る舞いが 、どこか奇妙である事に僕は気づいていました。 のちにはっき りしたのですが、この友人は、僕が知らない間に、精神を病んでい たのです。 彼とは、その旅行の数年前に知り合い、知り合った 当時すでに、さらに他の友人達も交えたりしながら、一緒に楽しく 過ごしていました。 けれどもその、彼と出会ってからすぐの頃 と、のちに彼と一緒に旅行に出かけた頃の間には、つき合いが全く なかった、ブランクの時期が何ヶ月間もありました。あるいは1年 位、あったかも知れません。 出会った頃には特に異常もなかっ たその友人は、僕とのつき合いが途絶えていたその時期に、心に問 題を抱える様になっていたのです。 結果から言うと、その友人 は、旅行の最初の瞬間から、何とも奇妙で不可解な振る舞いをし始 めました。 そして、来る日も来る日も訳のわからない言動をあ ちらこちらでさんざん繰り返したのちに、ついにはレンタカーで、 ひとりどこかに走り去ってしまったのです。 僕を路上に残して 、彼がレンタカーで走り去った時、僕は自分が一体どこにいるのか も知りませんでした。 それがコロラド州のコルテズという町で ある事を、どうやって知ったのかは覚えていません。 今みたい にスマートフォンもなく、コンピューターもまだそれほど普及して はいない時代でした。 おまけに、当時の僕は、車の運転をまだ 覚えていませんでした。 「アイツ、レンタカーでどこかにひと りで行っちゃったか。じゃあ僕も車を調達して、あとの残った旅行 日程はひとりで移動しよう。そして最後に帰りの空港に着いて、日 本に戻ればいいや...」 という訳にもいかなかったのです。 でも僕は、すでに書いた様に、その旅行には最初の瞬間からも のすごくインスピレーションを感じていました。それで何か、導か れ、見守られている様な気持ちでさえいたのです。 神様?仏様 ?ハイアー・セルフ?守護天使?それとも?それとも? その辺 は東郷さんのご理解にお任せしますが、とにかく、そこがどこであ るのかさえもわからない、異国の路上に置き去りにされたのに、僕 の心の中には不思議な落ち着きと安心感がありました。 で、そ んな場合にはまさに「不幸中の幸い」というのでしょうが、都合の いい事には、置き去りにされた路上から道を隔てた反対側に、車で 移動する旅行者の為の簡易宿がありました。 なのでその夜はそ こに泊まる事にして、チェックインしました。 ところが、その 宿の管理人であるインド人の男性が、僕が車をどこにも停めていな いのに気づきました。 なにしろ、車で移動する旅行者の為の宿 ですから、客の車が見当たらないというのは普通ならあり得ません 。 それで、車はどこにあるんだ?みたいな事を訊かれました。 僕は、そのインド人の男性の目を数秒見つめて、信頼していい 人だと直感し、事のすべてを話しました。 日本から友人と一緒 にやって来て、レンタカーで旅行をしていたが、その友人が実は精 神を病んでいて、車でひとり、どこかに走り去ってしまった事.. ..などなど。 今度は、そのインド人の男性が僕の目を見つめ 、ひと言、言いました。「オレが助けてやる(I’ll help you)」。 幸いな事にお金は十分にあったので、そのイン ド人の男性に教わって、帰りの空港まで長距離バスに乗っていく事 にしました。 東郷さんも聞いた事があると思いますが、ハウン ド・ドッグという名前の、アメリカ全土を網羅して走っている長距 離バスです。 でも、そのコルテズという町にはその長距離バス の停車駅がなかったのです。 それで、そのコルテズから、一番 最寄りの(長距離バスの)停車駅がある町・デュランゴに、まずは 地元のバスで移動してから、改めて長距離バスに乗る事になりまし た。 結局、そのコルテズという町には数日間滞在し、次にその デュランゴという町に移ってから、そこでもさらに数日を過ごしま した。 どう考えても、(全部合計しても)大した日数ではあり ませんが、そのわずかな日数の間に、僕はその地元のいろんな人達 と積極的に言葉を交わし、共に時間を過ごしました。 それがの ちに、僕が住む事になるまさにその地域だったのですが、もちろん その時には、そんな未来が待っているとは夢にも思っていませんで した。 忘れられない出会いをいくつもして、最後には長距離バ ス=ハウンドドッグに乗って、帰りの空港まで行き、僕は日本に帰 りました。 初めてアメリカを訪れた、その旅行の話はこれで終 わりです。けれども、ここで話をやめてしまうと、それが単なる過 去の事として終わってしまうので、それを今現在の僕のアメリカ生 活につなげる為に、話を多少延長しますね。 日本に戻り、アメ リカ旅行の為に休暇を取っていた当時の職場で再び働き始め、表向 きにはアメリカ旅行などなかったかの様でした。 けれども、そ の旅行で体験したすべての事は僕の心に強く深く焼きついていて、 旅行から帰ってどれだけ日数が経っても、その印象は薄らぐ事があ りませんでした。 言って見れば、僕はコロラドの田舎町に心を 置き去りにして、日本に戻ってしまったのでしょう。 アメリカ に置きっ放しにした自分の心を、再びアメリカに行って見つけ、拾 い上げて取り戻す.....。 そんな気持ちで、それから1年 後、当時の仕事をやめて、コロラドの田舎町を再び訪れました。 今はどうなっているのかわかりませんが、その頃の規定では、旅 行ヴィザでアメリカに滞在できる期間は継続的には3ヶ月でした。 そしてそれに続く3ヶ月は、旅行ヴィザでアメリカに行く事は できない....という事になっていました。 それで僕は、コ ロラドのその地域に行っては、ギリギリの3ヶ月いっぱいをそこで 過ごし、その滞在から日本に戻って3ヶ月待ち、再び同じ地域を訪 れて3ヶ月間を目いっぱい過ごす....という事を繰り返し始め ました。 そうしていれば、いずれはアメリカのその土地にずっ と住める様になる....などという確証は何もありませんでした が、旅行ヴィザしか手に入らなかった当時の僕は、そうせざるを得 なかったのです。 そうやって、日本とアメリカを、3ヶ月ごと に行ったり来たりする生活を繰り返している内に、そのコロラドの 田舎で、僕はひとりの女性と出会い、友達になりました。 コロ ラドで出会って、友達になった女性は、たくさんいます。 でも 、その女性には、僕が友達になった他の女性達とは、ひとつ、決定 的に違う事がありました。 それは僕が、その女性と婚約し、そ の一年後に結婚した事です。 事実から言えば、僕は彼女と結婚 したおかげで、アメリカにずっと住む事ができる様になりました。 彼女自身が、アメリカ国籍者だったからです。 でも、もう ひとつの事実を言えば、僕にとっての彼女の存在は、この馬鹿デカ いアメリカよりも、さらにもっと大きいのです。 かつての僕は 、「アメリカに住む」「コロラドの田舎町に住む」というのが、一 番の望みでした。 今の僕の、一番の望みは、彼女とずっと一緒 にいる事です。 その為に余儀なくされるのなら、住むにはアメ リカでなくても構わない...とさえ思える。それが、僕にとって の彼女の存在です。 意外な結末ではありましたが、これで、今 回の記事は終わりです。 最後まで読んで下さってありがとう。 又、すぐに書きます。お元気で。
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