ずっとアメリカに住んでます.

目安時間 9分

 

東郷さん、お元気でいらっしゃいましたか?こんにちは。セイブンです!

東郷さんに、今日は、何の記事をお届けしましょうか。

メルマガ第一作は、テーマも決めずに書き始めたら、書いている内に話の流れでレゲエ音楽の事を書き始めて、それがそのままテーマになりました。

メルマガ第ニ作は、僕が大変に感銘を受け、大きな影響を与えられた著者・講演者、Dr.ディマルティーニの記事をお届けしました。

メルマガ第三作は、これも又、僕が巨大な影響を受け続けている著者・講演者、Dr.ジョセフ・マーフィーの記事でした。

そして、前作、メルマガ第四作では、「今回は、楽に、いくらでも書けるテーマでメルマガをお届けしよう!」という事で、子供の頃からずっと大好きなバンド、ビートルズの記事をお届けしました。

で、今回が第五作目になる訳ですが、今回のメルマガは、僕のアメリカ生活についての記事をお届けしようと思います。

そうなんです。僕、ずっとアメリカに住んでいるんです。もう、ここ20年位、ずっと。

いつからなのかというと、2006年の10月から。つまり、今現在の妻と結婚して以来です。

マア、「今現在の妻」とは言っても、それ以前に別の妻がいた訳ではなくて、今現在の妻が、生涯でたったひとりの妻なんですけど。

でもとにかく、今現在一緒に住んでいるその彼女と、コロラドのデュランゴという田舎町の教会で結婚式を挙げました。

そうなんです。お察しの通り、アメリカ生活のはじめには、僕はコロラドに住んでいたんですね。

2年もしないで、カリフォルニア州のサンディエゴに移りましたが。

今住んでいるのが、そのサンディエゴです。

「サンディエゴ」って言えば、オオ、名前は聞いた事があるよナ....なんて、東郷さんも思うでしょ?

僕も、まだ日本に住んでいて、アメリカに住む事なんか夢にも思っていなかった頃はそんな感じでした。

コロラドは、そりゃあ、いいところでしたよ。でもひと言で「コロラド」と言っても、僕の場合は典型的なド田舎生活でして、住んでいる地域一帯が全部、ロッキー山脈に360度囲まれている。だから、どちらを向いても山、山、山....という暮らしでした。

大地の恵みがいっぱい。豊かな大自然に満ち満ちた、天国みたいな環境で日々を送っていました。

そりゃア、素晴らしい!でも、一体どんなきっかけで、そんな暮らしをする事になったの?

ウーン、なかなかいい質問だ(笑)。

事のはじめは、ただの観光旅行。

友人とふたりで、その地域に旅行して見た。単発の旅行...それだけの気持ちしかなくて、まさかそれがきっかけでアメリカに住む事になるなんて夢にも思っていない。

旅行から帰って来たら、又日本。
旅行中の楽しかったいろんな事が思い出の1ページになって、それを時々思い出しながら、それまで通りに日本でずっと生きていく。

観光旅行についての思いなんて、みんな、そんなものでしょ?

例えばイタリアに、10日ほどの日程で観光旅行に出かけるのに、「ひょっとしたら、ゆくゆくはマドリードに住む事になるのでは....」なんて、誰も思わない。

僕もやっぱり、そうだったんですよ。

でもその、ただの思い出として残って終わるはずだった10日間が、その後の僕の人生をすっかり変えてしまいました。

人生って、だから面白いですね。

その旅行の事だけでも、十分にメルマガの一記事になるので、多分次のメルマガはそれになると思います。多分....ですけど(笑)。

その旅行で訪れた特定の地域の事が、僕の心深くに忘れがたい印象を残しました(今は簡単に、これだけ書いときます)。

そしてその旅行後も、機会を見つけては同じ地域を訪れている内に出会った、ひとりの女性がいました。

それが、この記事を書いているたった今も隣りにいる、彼女。そう、僕の妻です。

アメリカは、デカい。日本の何十倍も、デカい。でも僕にとって、そのデカいアメリカよりもはるかにデカい存在が、彼女です。 

コロラドの田舎町・Mancosで知り合った彼女と、コロラドの田舎町・Durangoで結婚式を挙げて、コロラドの田舎町・Cortezで1年半位暮らしました。

これらの3つの田舎町は、みな同じ地域にあり、どの町にも、忘れられない思い出がたくさんあります。

ロッキー山脈にグルリと囲まれた、コロラドの田舎町での生活を経て、僕と妻は、今度は海辺の街、カリフォルニア州のサンディエゴに移って暮らし始めました。

それまでよりも、はるかに都会の暮らしです。もう「町」ではなくて、「街」です。そのサンディエゴで、新しい生活をスタートしました。2008年3月の事でした。

そしてそれから17年経った今も、サンディエゴで暮らしています。

先月、家を買って、引っ越しました。同じサンディエゴでも、こうも違うのか!と思う位に、それまでのアパートでの生活とはまるで違う環境でひと月が経ちました。

新居のある地域は、自然がいっぱい。朝、目が覚めて、家のドアを開けると、鳥のさえずりの大合唱です。

山岳地帯ではないのですが、多少の起伏があり、緑が多く、野生の木や植物がたくさん生い茂っていて、様々な小動物も生息しています。

まだこの地域で出くわした事はありませんが、ヘビもいるという話です。他の地域では、何度も見ています。つかんだ事もあります。

コヨーテもいます。こちらも、この地域ではまだ見た事はないのですが、以前に他の地域で見た事があります。家にネコが2匹いるので、食べられない様に気をつけています。

17年前にサンディエゴに移って来た時には、車に荷物を積めるだけ積んで、僕と妻と犬1匹でやって来ました。

今思い出すと、映画かテレビドラマの一場面みたいで、笑ってしまいますが、もちろん当時の僕達にとっては現実そのものでした。

先行きについて何のあてもないまま、個人の家の一室を借りてスタートしました。勤め先が決まっている訳でもなく、貯金がたっぷりとある訳でもない。頼る相手もいない。知人友人、ひとりもいない。

ないない尽くしの中で、サンディエゴでの最初の仕事を何とか見つけ、僕は働き始めました。

そして年月をかけて、仕事を少しずつグレードアップしながら、僕は妻とふたりで暮らし、より満ち足りた生活を築いて来ました。

仕事が少しグレードアップすると、それに連れて経済レベルも少しアップ。その分、生活の質も少しだけ向上しました。

その繰り返しで、今、ついに新居を購入するほどになったのですから、やり続ける....という事には、本当に力があります。

今から思えば大した額でもない家賃を払うのに、毎月、月末には大奮闘していた。その頃の事は、今でも鮮やかによみがえります。

大変だった長い年月。心悩ませた数々の事も、今になって振り返って見れば、懐かしい思い出です。

何でも、どんな事でも、多くを体験する....というのは、とてもいい事です。

僕などは、生まれ育った日本ではなく、異国のアメリカに住んで、日本の他のみんなが体験しない事をたくさん体験できるのですから、ある意味ではとても幸運です。

もちろん、その分、日本にずっと住んでいれば当たり前に体験できるはずの生活は、もう長い間、全然、体験できていません。

ですから、ただ生活体験の種類が違うというだけで、別に、何かを余分に得ている...という事でもないのでしょうが。

でも、生まれて、ずっと生きて来ている中で、今自分のいるところに、僕は満足しています。

けれども、これでおしまい、もう落ち着いた...などという気持ちはかけらもない僕なので、これからも、さらにもっと多くを体験して、まだまだ変わっていくつもりでいます。

今回は、僕が20年近くもずっと住んでいる、アメリカでの生活についての記事をお届けしました。

今現在に至るまでの事も含めて、読んで頂きました。東郷さんに、何か感じて頂けたなら、うれしいです。

それじゃあ、又すぐに書きますね。

毎日、どうぞお元気でお過ごし下さい。さようなら。

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