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東郷さん!お元気でしたか? ウルトラセイブンこと、セイブンです! 今日は、何の記事をお届けしましょうか? 何か、東 郷さんが喜びそうな記事、喜んでもらえそうな話題をお届けできた らいいな....と思います。 そうだ!今日は、これまでとは ガラリと趣向を変えて、日本のロック・バンドである、頭脳警察、 そしてそのヴォーカル・ギター・作詞作曲の、PANTAこと中村 治雄さんについて書きたいと思いますので、よろしくお願いします 。 バンド....って言っても、今軽くご紹介した、PANT Aと、ドラムス/パーカッションのトシさんの2人だけなんですよ ネ、メンバーは。 話は、僕の中学生時代に遡って、始まります 。もう、今から何十年も昔の事なんですけど。 ア!たった今気 がつきましたけど、今回のメルマガは、ある意味では、僕が前回お 届けしたメルマガの続編みたいなものですね。 どう続くかって 言いますとネ....。 ホラ、前回のメルマガの内容は、僕が 中学生の時分にビートルズに夢中になって、バンドまで始めて仲間 と楽しくやってたら、思いがけずもイギリスに移り住む事になった ....という話だったでしょ。 で、当時のイギリスで活躍し ていたバンドやミュージシャン達の影響を大いに受けた....と いう事も。 その僕が、2年弱のイギリス生活ののちに、家族と 一緒に、また日本に帰って来たところから、今回のメルマガの記事 を始めます。 日本に帰って来ても、僕の頭の中は、音楽の事で いっぱいでした。 再び日本の学校に通う様になっても、学校か ら家に帰れば、レコードを聴いたり、ギターを弾いたり歌ったり。 毎日、音楽ばっかり。 学校でできる友達も、みんな音楽仲間ば っかり。互いに、持っているレコードを貸し借りしたり。新しいレ コードを買ったら、自分自身が聴きつつ、仲間にも聴かせたり。 今みたいに、インターネットなんかなくて、Youtubeで検 索すればあらゆる種類の音楽がその場で聴ける....などという 事は全然ありませんでしたから、レコードは、ラジオと並んで、貴 重な貴重な音源でした。 で、イギリスで、当時の音楽シーンの 影響をモロに受けた直後でしたから、日本に帰って来ても、聴くの はイギリスの音楽ばっかりなんですよネ。 学校の仲間とバンド をつくっても、歌うのはイギリスのバンドやミュージシャン達の歌 ばかり。 それでとっても楽しかったんですけれど、同時に、「 何か変だな」という思いがどこかにありました。 だって、例え ば英語の歌なら、アメリカ人やイギリス人のミュージシャン達が、 自分達の文化の中で、自分達の国の人達に向けて、自分達の言葉( 英語)で歌っている訳でしょ? どうして日本には、それがない の? これは、当時の僕の音楽趣向が、主にロック系のものであ った事から出て来た疑問でした。 フォークソングであれば、日 本人に向けて日本語で歌う歌手や、フォーク系のバンド・ミュージ シャン達はいっぱいいましたが、僕が好きなのは、ロックだったの です。 でも、当時の日本で、一番ロック的なものと言えば、せ いぜい、歌謡曲ロック、あるいはロック歌謡曲の、あのバンドや、 この歌手。 ( この状況は、日本では今もそれほどには変わ っていないです。) ブームだったイエロー・マジック・オーケ ストラ(YMO)は、確かに雰囲気はロックっぽかったのですが、 ロックではありませんでしたし、歌う歌は英語でした。 日本の 歌手・ミュージシャンが、日本語で歌っていて、なおかつ、僕がイ ギリスで英語の歌を聴いて感じていた様な、リアルさがある... .。 そんな歌・そんな歌手/ミュージシャンは、日本にはいな いんだろうか? などと思いながらも、相変わらずイギリスのバ ンドや歌手の歌ばかりを聴き、歌っていた僕でした。 そんな僕 が、ある夜、テレビ神奈川の「ファイティング80」という番組を 観ていました。 それまでにも、時々、この番組を観てはいたの ですが、これは...と思えるミュージシャンも、歌も見つかりま せんでした。 でも、その夜も何となく、その番組にチャンネル を合わせて観ていました。すると、「今日、この番組で歌っている この人、とても独特で、他の日本のミュージシャン達の誰とも違う な....」と思える、ひとりの歌手が登場して、バンドをバック に歌っていました。 それが、通称PANTA。中村治雄さんで した。強烈な印象は残らなかったものの、すでにどこだかで耳に/ 目にしていた“PANTA”という名前を思い出し、「アア、この 人がそのPANTAか....」と思ったのを覚えています。 けれども、すでに書いた様に、特に強烈な印象も残らず、そんな番 組を観た事も忘れて、僕は相変わらず、イギリスのミュージシャン 達の歌う英語の歌ばかりを聴いていました。 そんなある日の事 でした。 当時、僕の学校の仲間達は、学校が終わると僕の家に 来て、レコードを一緒に聴いたりおしゃべりしたりして時間を過ご す事がしょっちゅうだったのですが、そんな仲間のひとりが、「弟 がこんなレコードを買ったんだぜ」と言って、持参して来たそのレ コードを僕のレコードプレーヤーでかけました。 それが、その テレビ番組で歌っていた歌手、PANTAのかつてのバンド、「頭 脳警察」のアルバムでした。 その歌は、歌謡曲ロックなどでは なく、正真正銘のロックで、しかも、僕がイギリスで英語の歌を聴 いて感じていたのと同じ、生身の人間のリアルさがあったのです。 聴き始めてから数分もしない内に、僕はその頭脳警察というバ ンドの大ファンになり、PANTAの事が大好きになっていました 。 その日、僕が聴いたレコードは、頭脳警察のセカンドアルバ ムだったのですが、それから徐々に、他のアルバムも一枚一枚買っ ては聴き、そのバンドが解散した後のPANTAの歌も聴いていき ました。 これまでのメルマガでも繰り返し書いている様に、ビ ートルズというのは僕にとって特別なバンドなのですが、そのビー トルズと同じ位に、頭脳警察、そしてPANTAは、僕にとって特 別な、大事な存在になりました。 当時の僕は高校生でしたが、 高校を卒業してからその後も、ずっとPANTAの歌を聴き、自分 でも歌いながら、生きて来ました。 そのPANTAの歌で、「 裸にされた街」という曲があるのですが、初めてアメリカに来た時 から、その歌をよくひとりで口ずさみ、ギターを弾いて歌っていま した。 ギターはいつも、アメリカに行く時には持参していたん ですよ。 アメリカの方々で、他の英語の歌と共にその歌をよく 公で歌い、日本語がわかるはずもない、アメリカの人達にも聴かせ ていました。 高校時代から今に至るまで、いつの事を思い出し ても、僕が生きて来たすべての歩みには、いつもPANTAの歌が 一緒にありました。 そのPANTAが、おととし、死んでしま いました。 まるで、自分のアニキか親友が亡くなったみたいに 、その死に、どれだけ泣いたかわかりません。 僕にとっては、 それほどに、大事な大事な、かけがえのない人でした。 歌を通 して、音楽の感動によって、ある意味では、物理的な空間を共有し て来た人達よりももっと深く、僕の心に触れた人でした。 決し て商業的・経済的に成功した人ではなく、名前の知れた人でもあり ませんでしたが、知名度など、気にかけた事はありません。 こ の人と、この人の歌に僕が受けた影響は到底、測り知れません。 死んでしまった事は、今でも悲しいのですが、その悲しみよりも 、もらったものの大きさを思って、感謝する事にしています。 PANTA。ありがとう。今日(こんにち)の僕は、あなたなしに はいない....心から、そう言いたいです。 今日、東郷さん にお届けしたメルマガは、何とか歌謡大賞....みたいなものを 、いくつももらっている様な歌手とは違う、「無冠の帝王」PAN TAについての記事でした。 ( ちなみに、「無冠の帝王」は 、PANTAが書いて歌った、心に残るたくさんの歌のひとつです 。) それでは、又すぐに書きますね。 東郷さん、さような ら。元気でね。
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