魂の歌手 – PANTA(中村治雄さん)の事.

目安時間 9分
東郷さん!お元気でしたか?

ウルトラセイブンこと、セイブンです!

今日は、何の記事をお届けしましょうか?

何か、東郷さんが喜びそうな記事、喜んでもらえそうな話題をお届けできたらいいな....と思います。

そうだ!今日は、これまでとはガラリと趣向を変えて、日本のロック・バンドである、頭脳警察、そしてそのヴォーカル・ギター・作詞作曲の、PANTAこと中村治雄さんについて書きたいと思いますので、よろしくお願いします。

バンド....って言っても、今軽くご紹介した、PANTAと、ドラムス/パーカッションのトシさんの2人だけなんですよネ、メンバーは。

話は、僕の中学生時代に遡って、始まります。もう、今から何十年も昔の事なんですけど。

ア!たった今気がつきましたけど、今回のメルマガは、ある意味では、僕が前回お届けしたメルマガの続編みたいなものですね。

どう続くかって言いますとネ....。

ホラ、前回のメルマガの内容は、僕が中学生の時分にビートルズに夢中になって、バンドまで始めて仲間と楽しくやってたら、思いがけずもイギリスに移り住む事になった....という話だったでしょ。

で、当時のイギリスで活躍していたバンドやミュージシャン達の影響を大いに受けた....という事も。

その僕が、2年弱のイギリス生活ののちに、家族と一緒に、また日本に帰って来たところから、今回のメルマガの記事を始めます。

日本に帰って来ても、僕の頭の中は、音楽の事でいっぱいでした。

再び日本の学校に通う様になっても、学校から家に帰れば、レコードを聴いたり、ギターを弾いたり歌ったり。毎日、音楽ばっかり。

学校でできる友達も、みんな音楽仲間ばっかり。互いに、持っているレコードを貸し借りしたり。新しいレコードを買ったら、自分自身が聴きつつ、仲間にも聴かせたり。

今みたいに、インターネットなんかなくて、Youtubeで検索すればあらゆる種類の音楽がその場で聴ける....などという事は全然ありませんでしたから、レコードは、ラジオと並んで、貴重な貴重な音源でした。

で、イギリスで、当時の音楽シーンの影響をモロに受けた直後でしたから、日本に帰って来ても、聴くのはイギリスの音楽ばっかりなんですよネ。

学校の仲間とバンドをつくっても、歌うのはイギリスのバンドやミュージシャン達の歌ばかり。

それでとっても楽しかったんですけれど、同時に、「何か変だな」という思いがどこかにありました。

だって、例えば英語の歌なら、アメリカ人やイギリス人のミュージシャン達が、自分達の文化の中で、自分達の国の人達に向けて、自分達の言葉(英語)で歌っている訳でしょ?

どうして日本には、それがないの?

これは、当時の僕の音楽趣向が、主にロック系のものであった事から出て来た疑問でした。

フォークソングであれば、日本人に向けて日本語で歌う歌手や、フォーク系のバンド・ミュージシャン達はいっぱいいましたが、僕が好きなのは、ロックだったのです。

でも、当時の日本で、一番ロック的なものと言えば、せいぜい、歌謡曲ロック、あるいはロック歌謡曲の、あのバンドや、この歌手。

(  この状況は、日本では今もそれほどには変わっていないです。)

ブームだったイエロー・マジック・オーケストラ(YMO)は、確かに雰囲気はロックっぽかったのですが、ロックではありませんでしたし、歌う歌は英語でした。

日本の歌手・ミュージシャンが、日本語で歌っていて、なおかつ、僕がイギリスで英語の歌を聴いて感じていた様な、リアルさがある....。

そんな歌・そんな歌手/ミュージシャンは、日本にはいないんだろうか?

などと思いながらも、相変わらずイギリスのバンドや歌手の歌ばかりを聴き、歌っていた僕でした。

そんな僕が、ある夜、テレビ神奈川の「ファイティング80」という番組を観ていました。

それまでにも、時々、この番組を観てはいたのですが、これは...と思えるミュージシャンも、歌も見つかりませんでした。

でも、その夜も何となく、その番組にチャンネルを合わせて観ていました。すると、「今日、この番組で歌っているこの人、とても独特で、他の日本のミュージシャン達の誰とも違うな....」と思える、ひとりの歌手が登場して、バンドをバックに歌っていました。

それが、通称PANTA。中村治雄さんでした。強烈な印象は残らなかったものの、すでにどこだかで耳に/目にしていた“PANTA”という名前を思い出し、「アア、この人がそのPANTAか....」と思ったのを覚えています。

けれども、すでに書いた様に、特に強烈な印象も残らず、そんな番組を観た事も忘れて、僕は相変わらず、イギリスのミュージシャン達の歌う英語の歌ばかりを聴いていました。

そんなある日の事でした。

当時、僕の学校の仲間達は、学校が終わると僕の家に来て、レコードを一緒に聴いたりおしゃべりしたりして時間を過ごす事がしょっちゅうだったのですが、そんな仲間のひとりが、「弟がこんなレコードを買ったんだぜ」と言って、持参して来たそのレコードを僕のレコードプレーヤーでかけました。

それが、そのテレビ番組で歌っていた歌手、PANTAのかつてのバンド、「頭脳警察」のアルバムでした。

その歌は、歌謡曲ロックなどではなく、正真正銘のロックで、しかも、僕がイギリスで英語の歌を聴いて感じていたのと同じ、生身の人間のリアルさがあったのです。

聴き始めてから数分もしない内に、僕はその頭脳警察というバンドの大ファンになり、PANTAの事が大好きになっていました。

その日、僕が聴いたレコードは、頭脳警察のセカンドアルバムだったのですが、それから徐々に、他のアルバムも一枚一枚買っては聴き、そのバンドが解散した後のPANTAの歌も聴いていきました。

これまでのメルマガでも繰り返し書いている様に、ビートルズというのは僕にとって特別なバンドなのですが、そのビートルズと同じ位に、頭脳警察、そしてPANTAは、僕にとって特別な、大事な存在になりました。

当時の僕は高校生でしたが、高校を卒業してからその後も、ずっとPANTAの歌を聴き、自分でも歌いながら、生きて来ました。

そのPANTAの歌で、「裸にされた街」という曲があるのですが、初めてアメリカに来た時から、その歌をよくひとりで口ずさみ、ギターを弾いて歌っていました。

ギターはいつも、アメリカに行く時には持参していたんですよ。

アメリカの方々で、他の英語の歌と共にその歌をよく公で歌い、日本語がわかるはずもない、アメリカの人達にも聴かせていました。

高校時代から今に至るまで、いつの事を思い出しても、僕が生きて来たすべての歩みには、いつもPANTAの歌が一緒にありました。

そのPANTAが、おととし、死んでしまいました。

まるで、自分のアニキか親友が亡くなったみたいに、その死に、どれだけ泣いたかわかりません。

僕にとっては、それほどに、大事な大事な、かけがえのない人でした。

歌を通して、音楽の感動によって、ある意味では、物理的な空間を共有して来た人達よりももっと深く、僕の心に触れた人でした。

決して商業的・経済的に成功した人ではなく、名前の知れた人でもありませんでしたが、知名度など、気にかけた事はありません。

この人と、この人の歌に僕が受けた影響は到底、測り知れません。

死んでしまった事は、今でも悲しいのですが、その悲しみよりも、もらったものの大きさを思って、感謝する事にしています。

PANTA。ありがとう。今日(こんにち)の僕は、あなたなしにはいない....心から、そう言いたいです。

今日、東郷さんにお届けしたメルマガは、何とか歌謡大賞....みたいなものを、いくつももらっている様な歌手とは違う、「無冠の帝王」PANTAについての記事でした。

( ちなみに、「無冠の帝王」は、PANTAが書いて歌った、心に残るたくさんの歌のひとつです。)

それでは、又すぐに書きますね。

東郷さん、さようなら。元気でね。

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