東郷さん!こんにちは!
お元気でしたか?セイブンです。
第一作からずっと、東郷さんにお届けして来たメルマガも、今回でついにふたケタ!の第十作です。
その、記念すべき第十作目では、「ニュー・メキシコの思い出」と題して、かつて僕が体験した、ニューメキシコでの様々な出来事を書きたいと思っています。
初めて訪れたアメリカで、どこまでも続くだだっ広い草原みたいな中を、ひたすらに車で走っていたところから話を始めましょう。
それはまさに、アメリカならではの醍醐味!みたいな感じでした。
本当に、どこまで行っても草原。
日本から持参して来たカセットテープを、カーステレオで聴きながら、草原を延々と走りました。
カセットテープに入っていた音楽は、ボブ・ディランの歌!知っている人なら、「オオ、ピッタリじゃん!」と言うでしょうね。
テープに入っていたのは、ボブ・ディランの3枚目と4枚目のアルバムで、どちらもボブ・ディランがたったひとりでギターを弾き、ハーモニカを吹きながら歌って録音したアルバムでした。
これだけならば、「アア、そうか!アメリカ旅行に行くから....というので、アメリカで聴くのにピッタリな感じの音楽を選んで、テープに録音して持って行ったんだネ!」と思われるかも知れません。
ところが、事実はそうではなくて、たまたま、その頃に図書館で見つけて借りたものを全部、テープに録音して、そのテープをアメリカに持って行っただけでした。
なので、そのテープに他に入っていたのは、「クレイジー・キャッツ・デラックス」というアルバム。そして、落語家・林家三平の歌のアルバム(タイトルは不明)でした。
アメリカの大草原を車で走りながら聴く、三平の「ヨシ子さん」。
そして、クレイジー・キャッツの「スーダラ節」「黙って俺について来い」「こりゃシャクだった」などの、植木等が歌う珠玉の名曲の数々(笑)は、格別なものでした。
それは、多分、ニュー・メキシコのどこかだったと思いますが、今となっては、それがどこの草原であったのかは、はっきりしません。
その数日後には、僕は同じニュー・メキシコのサンタ・フェという町で過ごしていました。
アートの雰囲気に満ちた、何とも魅力のある、素敵な町でした。
好きな作家家、フィリップ・グラスのCDを、この町で買いました。
泊まっていたホテルが、これ又アートの雰囲気がいっぱいで、夜になって、そのホテルのレストランで食事をしていると、バンドの歌と演奏が始まり、それを聴きながら時間を過ごした事が記憶によみがえります。
その数時間後、夜も多少は更けたかと思える頃、ホテルのすぐ外でタバコを吸いながら、「一体、これは夢なんだろうか?」みたいな、不思議な気持ちになりました。
そのひと時の事は、今でもはっきりと、思い出します。そして、今そこにいる様な気持ちになります。
まるで時間がそこだけ止まってしまったかの様な、それは何か特別な、不思議なひと時でした。
でも、その夜に限らず、ニュー・メキシコで、はじめから不思議だったのは、親和感....というのでしょうか。初めて訪れた、異国の地なのに、何故か、独特な親しみと、ふるさとの町に帰った様な、懐かしい感じに満ちていた事です。
初めてメリカを訪れた時には、ニュー・メキシコ州のアルバカーキーという街の空港に到着しました。
その夜に見た光景。埃っぽい茶色の土が剥き出しの、青白く光る、アルバカーキーの土手の風景。
それが、僕にとってのアメリカの原風景となりました。
その土手を目にした時の、あの感じ。何と言っていいのかわかりません。
観光地でも何でもないんですよ。
そこいらにいくらでもある、ただの何でもない、普通の土手だったんですけど、感銘を受けました。
大地の、どっしりとした感じに。
そうなんですよね。僕が初めてのアメリカ旅行で与えられた、アメリカの第一印象というのは、何よりも土、そして大地なんです。
同じ、休暇の旅行でも、ニューヨークの大都会を歩いたゼ!摩天楼の最上階から街を見たゼ!みたいなのとは全然違いましたね。
土。大地。土地の雰囲気。
その次には、現地の人達との交流でした。
多少でも英語ができて、良かったです。
ネイティヴ並み....なんて事は全然ない(笑)僕の英語ですが、それを駆使して、マア、よくしゃべりました。
地元の、アメリカ原住民(いわゆるインディアン)の女の子が語ってくれた、昔から伝わる神話。
それは、持参したテープレコーダーで、カセットテープに録音されて、今でも残っています。
「でも、そんな旅行、本当にあったんだろうか?そんな、いろいろな体験をした夢を見ていただけじゃないのか?落ち着いて、よく考えてごらんよ、自分自身!」
僕にとっては、そうとさえ思える様な、不思議な空気に満ちた旅行だったのですが....。でも、ちゃんと録音や、写真が残っているんですよね。僕の、ヴォイスメモも。
そうなんです。今やっと、思い出した。僕、テープレコーダーで、ずっとヴォイスメモを取っていたんですね、旅行のはじめから最後まで。
旅行に行くみなさん、国内旅行でも海外旅行でもどっちでもいいから、これ、やっとごらんなさい。
旅行中の事が、要所要所、ハッキリクッキリと、言葉でマーキングされて、記憶に残りますよ。
現地の人との交流というのは、大地そのもの、そして土地の雰囲気を味わう事に並んで、僕にとっては、とても価値のある事でした。
最初のアメリカ旅行で、ニュー・メキシコで過ごした日数は、1週間もありませんでした。
そもそもの旅行日程全部が、10日ほどしかなかった上に、ニュー・メキシコで過ごした後には、コロラドでも4、5日は過ごしましたから。
でも、ニュー・メキシコでは、1ヶ月位タップリ、過ごしていた様な印象が残っているんですよね。
それは、過ごした時間がメチャクチャ濃かったから。濃密だったから。
ニュー・メキシコのあの場所で、この場所で、食事をしたレストラン。立ち寄った店。出会った人。
いちいち、みんな覚えています。
不思議ですね。こうして、思い出しながら書いていると、心では、そこに戻って、現に今、そこにいる様な気持ちになるんですよね。
チャマというところでも、ひと晩を過ごしました。それが町の名前なのか、地域の名前なのかわからない位に、何にもないところ。
そこに小さな宿があって、そこに泊まりました。雪が降っていて、チェックインした後に、雪の上を歩いたのを思い出します。
宿と同じ経営のレストラン兼バーで、食事をして、お酒を飲んで。
若いバーテンダーの青年とおしゃべりをして、互いに冗談を飛ばして、笑い合いました。
今思い出すと、そんな事でも、胸にジーンと来ます。
その旅行って、とってもノスタルジックだったんですね、言って見れば。
映画の中の、ドラマの一場面に、自分が入り込んでしまったかの様な気持ちに、度々なりました。
だから今でも、その旅行の全体の事を、映画館で観た映画のストーリーを思い出す様な感覚で思い出します。
アメリカの原住民、いわゆるネイティブ・アメリカンの一部族、プエブロ・インディアンの居住地区にも行きました。
プエブロ・インディアンの方達が、トラックに大勢乗って、仕事から戻って来るのを見ました。
そもそもが、「インディアンに会いに行こう!」と思い立って、話が始まった旅行だったので、インディアンの方達の存在は、旅行中、ずっと意識していました。
まずは飛行機で、ニュー・メキシコのアルバカーキー空港に飛び、
現地に到着したら、レンタカーを借り、ニュー・メキシコを見て回りながら、コロラドの特定の地域へ....という、日本で立てた旅行の計画。
それはすべて、インディアンの方達の事を意識して立てた計画でした。
そして実際に、多くのインディアンの方達に出会ったのです。
ナヴァホ・インディアン。プエブロ・インディアン。ホピ・インディアン。シャイアン族の方達もいました。
彼らとの出会いは、僕の心に、深い、強烈な印象を残しました。
旅行中には、大変な出来事もあって、それも手伝って、その旅行はいっそう、強烈に心に残りました。
同行した数年来の友人が、交際が途絶えた1年ほどの間に精神を病んでいた事....。
僕との旅行中も、さんざん奇行と奇言を繰り返した挙句、車でひとり、どこかに走り去ってしまった事.....。
いくつか前のメルマガで書きましたね。
その旅行後、彼がどの様な人生を歩んだのかは、わかりません。
それっきり、交際が途絶えてしまったので。
ただ、僕の当時の住居に電話をかけて来るだけではなく、当時の職場にまで電話をかけて来て、「お前のおかげで余分な出費をした。損害賠償だ。金を払え」などと、相変わらずの奇言を電話口でしゃべるので、仕方なく、警察に通報した....という事がありました。
それ以降は、何もわかりません。
でも、彼の存在があった事には感謝しています。
彼と一緒の、友達同士のアメリカ旅行....という事で、その旅行は実現したのですから。
さらに、旅行中の彼の奇行・奇言も、それがなかったら、ストーリーは完全に違っていたはずです。
その旅行から、話が転じに転じて、結局アメリカに移り、ずっと住んでいる僕も、いなかった可能性だって、大いにあります。
物事が起こる時って、どうも、多くの事がひとつになって、その組み合わせで起こる様なんです。
そして、その多くの事の内のどんな事も、その一部分としての役割を持っている。
僕がアメリカに移って、もう20年も住んでいる....という事も、その旅行が、現に起こったそのままに起こった、その結果なのです。
だから、その彼には感謝している。
彼が精神を病んだ事にも感謝している。
宇宙と呼ぼうが神と呼ぼうが、個々の人間や事物を超えた、何か大きな力を感じざるを得ません。
いろいろな要素がひとつになって、僕の人生に新しい道を開いてくれたのですから。
東郷さん、最後まで読んで下さって、本当にありがとうございました。
今回の記事は、これで終わりです。
では、また書きます。さようなら。
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