僕のネット歴(僕のネット無歴)

目安時間 18分
東郷さんこんにちは!

お元気でいらっしゃいましたか?

ウルトラセイブン!のセイブンです!

記念すべき初メルマガ・第一作から、ひとつひとつお届けして来たメルマガも、ついに記念すべき第十作でふたケタになり、今回はふたケタ第2号の、第十一作です。

だから、どう...という事も、別にないんですがネ(笑).....。

さて、今回のメルマガでは、どんな記事をお届けしましょうか。

何か、東郷さんに喜んで読んでもらえる様な内容にしたいな....なればいいな...と、今思っています。

そうだ、今回は、「僕のネット歴(僕のネット無歴)」と題して、僕が今メルマガを書いて配信している、そこに至るまでの個人歴というか、経過をご紹介しましょう。

思えば、あれは、たった去年の事でした。「歴」という言葉を使う事さえ気がひける、近い過去の事です。

去年の5月頃まで、「ネットビジネス」という言葉は、僕の辞書には一切ありませんでした。

その頃の僕の辞書で「ネットビジネス」という言葉の意味を調べようとしたら、多分「熱湯. 沸騰した熱いお湯の事」みたいな、どうでもいい項目だけを目にして終わっていただろうと思います(笑)。

マア、そんな事は、それこそ、どうでもいいのですが....。

脱線した電車を元のレールに戻して....再び話を始めます。

ネットビジネス....などというものは、その存在さえも知らなかったし、そんなものがこの世にあるのかどうかさえ興味がなかった僕。

その僕が、Youtubeで知った、ある著者の教えている事に興味を持ち、その言葉から学んでいました。

ある時、その著者が、こんな事を言っているのを、画面上の活字で読みました。彼が今、教えている分野とは何の関係もない、ただの思い出話です。

「....その頃、僕はブログで、毎月100万の収入を得ていた....。」

これが、僕が今メルマガを書いて配信する様になった、その一番最初のきっかけであり、すべての始まりでした。

そうか!セイブンさん、それを読んで、オーッシ、オレもブログで稼ぐゾ!と一念発起したんだネ!

イヤー、それが実は....全然、そうじゃなかったんですネ。

そりゃアそうですヨ。だって、「ブログ」っていうのが何なのか、よくわからなかったんですから。

こう思ったのを、覚えています。

ブログ....っていうのは、確か、インターネット上の公開日記みたいなヤツだよな。

「夏休みに、ハワイに行って来ました。ホテルはどこそこで、何をして何を食べました。ビーチの画像もこのページに載せましたので、見て下さいネ....」みたいな。

でも、それで月収100万円ていうのは、一体どういう意味だろう?

それで、興味...というよりも、好奇心を持って、ウェブで検索しました。

モロに、何にも知らない人の初歩検索です。「ブログとは何か」みたいにタイプして、検索しました。

で、それを読んでやっと、「ブログ」というのはネット上の公開日記だけではない事を知りました。

ネットビジネスの仕組みというものが、「ブログ」というものの背後にある事も、わかりました。

単なる好奇心はまともな興味に変わり、その興味を持って、収益ブログやネットビジネスについて、いろいろと調べていきました。

無料で始められるのなら、自分もブログを始めて見ようか...と思って調べて見たら、「無料ブログ」というのも、いくつもありました。

その中から「ブロガー」というのを選んで、さっそく登録しました。

これは、実に迅速で、早かったです。こうして、まだ何にもわからない内に、僕は自分用のブログサイトを持ちました。

Youtubeでも調べて見るか....。

「ブログってこんなもの」程度のヴィデオがある...かな?という程度で、Youtubeを訪れたら....。

そこには、「ブロガー」と称される、専門的にブログで収益を得て生活している、プロの方達のヴィデオが、ズラリと並んでいたのです。

イヤ、「アフィリエイター」と言った方が合っているのかな?

マア、いずれにせよ、「マナブ」とか「ヒトデ」、「タメブロ」などと思い思いに名乗っている、その道のエキスパートの方達の存在を、僕はYoutubeで知りました。

この「マナブ」という人の話は面白くて、それも魅力で、この人のヴィデオはいろいろ観ました。

けれども、僕に一番大きな影響を与えたのは、その同じYoutubeで、このもう少しのちに知る事になる、「サンデー」という方でした。

このサンデーという方は、ヴィデオでも顔は見せません。けれども関西訛りでしゃべる、その声としゃべり方を通して伝わって来る、何とも誠実な印象に、僕は大いに親しみを感じ、好感を持ちました。

この方を知った頃の僕は、すでに「ブロガー」の無料ブログを使うのはやめて、Conohaというサーヴァー会社と契約して、ワードプレスを使っていました。

で、ブログ記事を次々と書いて、自分のブログサイトに載せながら、アフィリエイトの道の歩み出し...みたいな事を試みていました。

ちなみに「アフィリエイトの道の歩み出しの試み」というのはどういう事かというと、「アフィリエイトというのは具体的に、どの様に何をやるのか」を学びながら、やれる事はみな、すぐにやっていたという事です。

「もしもアフィリエイト」で、好きなミュージシャンのアルバムを見つけて、それを自分のブログサイトに貼って紹介する....という位のところまでは、やっといました。

で、この「サンデー」という方の話に戻りますが、この方のメルマガが、僕が初めて購読したメルマガになりました。

この方のメルマガは、大変に良かったので、「送ってもらっても読まず、じきに忘れて終わり」という事はせず、送られて来るたびに、僕はちゃんと読んでいました。

その頃までに、僕はブログ自体が好きになっていて、誰も読んでいなかったにも関わらず、仮想読者に向けて記事を書いては、自分のブログサイトに掲載する事を楽しんでいました。

でも、同時に、ブログの活動が収益になったらうれしいな...と思っていましたので、自分なりに、その方法を学び続けていました。

それで、この「サンデー」という方のメルマガも、ちゃんと読み、しっかりと学んでいた訳です。

ただ、この頃の僕は、「メルマガ」という言葉の意味さえも、実はわかっていなかったんですよ。

サンデーさんからのメルマガも、「何とかというのに登録したら、長いメールが送られて来る様になった」という程度にしか思っていなかったんじゃないかと思います。

「“メルマガ”っていう言葉、良く聞くけど、何の事だろう」みたいに思いながら、結局わからないままで放って置いて、いいかげんに済ませていた記憶がありますから。

さて、先ほど、「Youtubeで知ったブロガー/アフィリエイター達の中で、僕に一番大きな影響を与えたのはサンデーさんだ」と書きました。

ここから、その「影響」の話をします。

サンデーさんから送られて来るメルマガを、僕は、丁寧に、ひとつひとつ読んでいました。

相変わらずの誠実な印象を保ちながら、まるで個人的な友達ででもあるかの様に、これまでに大変だった事を教えてくれたり、僕にもできる!という希望を与えてくれたりするサンデーさんに、僕は信頼感を持つ様になりました。

その様に、サンデーさんからのメルマガが、1通、又1通と重なってゆく中、あるメルマガでサンデーさんがこんな話をしてくれました。

「僕の人生を変えた教材がある。その教材との出会いがなかったら、今の僕はいない」。

それが、「アンリミテッド・アフィリエイト」という教材でした。

その教材について、サンデーさんから聞いた時の自分の反応を、僕は今でもはっきりと覚えています。

「そうか!そんないい教材があるのか!実はオレも、いい教材を探していたんだよ!よく教えてくれた!」

....なんていうレベルではなかったんですね。当時の僕は。

「エッ?アフィリエイトの為の教材なんていうものが、あるの?」

アフィリエイトのやり方を教えるマニュアルみたいなものが世にはあって、販売されている...という事を全然知らなかったんですよ。

でも、この誠実なサンデーさんが勧めてくれるのなら...という事で、「アンリミテッド・アフィリエイト」の販売ページを、僕は訪れました。

そしてその「アンリミテッド・アフィリエイト」の製作者であるという、小林憲史という方をも、僕は信頼しました。

その販売ページの、製作者本人による教材紹介の言葉を通して。

それで、その教材を購入しました。

購入して、その教材を読んだら、まだまだその世界の事がわからないながらも、確かな手ごたえを感じました。

本物だけが持つ、重量感...みたいな。

僕は、その「アンリミテッド・アフィリエイト」を教科書にして、アフィリエイトの勉強を始めました。

その教材を紹介してくれたサンデーさんが、メルマガに、こういう事も書いていました。

「この教材があれば、他の教材は一切要らない。必要な事はすべて、この教材に書いてあるから」。

その通りなのだろう...と説得されるだけの信頼感が、サンデーさんにも小林憲史さんにもあったので、僕は、この教材だけをひたすら勉強していくつもりでいました。

そして現に、数ヶ月間、この教材をテキストに、ひとりで勉強しました。

ところで、この教材の購入以来、教材製作者の小林憲史さんから、メルマガが届く様になりました。

サンデーさんのメルマガシリーズに続く、僕が購読者となった、ふたつ目のメルマガシリーズ。

それが、小林さんのメルマガでした。

その、次々と届けられる、小林さんのメルマガに、ある時、こんな事が書いてありました。

何やらに登録すると、それだけで何だかがもらえる。これを逃す手はない。今すぐに登録を!

それが一体何だったのか、実は、よくわからないんです。

多分、それを読んだ時にも、わかっていなかったと思うのですが、ただでもらえるなら、もらっときゃあいい....という位の軽い気持ちで、その何やらに登録し、何だかをもらいました。

そこから、話がどう展開して、どうなったのか。これもやっぱり、よく覚えていないのですが、気がついたら、オート・パイロット・プロジェクトというのに、参加していました。

これは、ひと言で言うと、「メルマガとブログとX(旧Twitter)を連動させれば、こんなに効率よく、アフィリエイトの収益が上がる!」という内容を紹介する、ヴィデオシリーズでした。

そのヴィデオシリーズを、ひと通り観ました。

そのシリーズ物のヴィデオは、一本一本公開されました。そしてその動画の中でプレゼンターをつとめていらっしゃる、奥村さんという方に、ヴィデオを観終わるたびに、質問や感想を送りました。

覚えているのは、それが、とても楽しかった!という事です。

それは、この奥村さんという方の暖かい、気さくな人柄に負うところが大きかったのだろう...と、今振り返って、思います。

こうすれば、効率よく収益が上がる!という説明をされて、なるほど!とわかるほどの知識と理解力は、まだ僕にはありませんでした(今もないんですけど...笑)。

説明されても、オオ、そういう事か!とは、わからない。でも、わからないながらも、とても楽しい。

それが僕の「オート・パイロット・プロジェクト」の体験でした。

もちろん、わからないなりに、その内容にも興味を持ちました。

このヴィデオ・シリーズの最後に、プレゼンターの奥村さんからの、こんなお誘いのお知らせがありました。

「ご紹介した、効率よく収益を上げられる方法を、講師の指導の元で具体的に学ぶ事ができます。あなたも、私(達)の塾に参加しませんか?」

僕はそのお誘いに応じて、塾に参加する事にしました。そして受講料を含む、参加の手続きをしました。

効率的にネット収益を上げる方法を学べる。しかも、オート・パイロット・プロジェクトみたいに、うんと楽しく。だったら参加しよう...と。

その塾に参加する事を決めたのには、実はもうひとつ理由がありました。

それは、今回のメルマガの記事ですでに書いた「アンリミテッド・アフィリエイト」の製作者、小林憲史さんが、この塾の主催・3名の内のひとりだった事です。

これだけ考え方のしっかりした人が主催陣のひとりであるなら、安心して参加していい塾に違いない。そう思いました。

ちょっと話が外れますが...そうなんです。今書いていて自分で気づいたんですが、この、小林憲史さんという方の最大の魅力は、考え方が実にしっかりしている....という事なんですね。

その、小林憲史さんが主催のひとりである...という事にも背中を押されて、去年の12月に、塾に参加する手続きをしました。

開講は、今年(2025年)のはじめから...という事でした。

なので、塾に参加する手続きをしてから、数週間、その開講を待ちました。

その間に、年が暮れ、新年が明けました。

そして、待ちに待った、塾が開講しました。

塾の名前は、The 7th Marketing Clubと言います。

長い名前なので、僕は7thMCと略して呼んでいます。文章の中で塾について書く時も同じです。

すでに書いた、小林憲史さん、そして奥村さんの他に、松原さんという方を加えた3名が主鎖者です。

この松原さんという方が直接の講師で、何か質問があったり、どうしていいかわからない事がある時には、この方にメッセージをして質問・あるいは相談します。

塾の活動の一環として、公開日記があります。これを書くのはとても楽しいので、僕はガンガン書いています。

塾長の奥村さん(愛称は、みのごりさん)をはじめ、僕の日記を読んで下さった方がよく感想やフィードバックを下さいます。

知識も経験もないゼロから始めた僕なので、至れり尽くせりの指導陣と各種サポート陣に強力なバックアップをして頂いても、大変な時にはやはり大変でした。

それでも、「やる気さえあるなら、あとは任せろ!」という心強い声に支えられて、5ヶ月間、学びと実践をして来ました。

(  ただし、この“力強い声”というのは、僕が受けた、塾の印象の事で、塾自体がその様な言葉を発している訳では全然ありません。)

その5ヶ月の間には、思いがけずも引っ越しがあって、基本的に業者を使わずに全部自分で運んだので、塾の学び・実践は3週間休まざるを得ませんでした。

学びも含めたネット関係の活動・作業・実践を一切せずに、毎日毎日過ごした3週間。

その終わり頃には、ネット関係の活動や作業に戻るのを億劫に感じ始めている自分に気づきました。 

これでは、マズい。このまま放って置いたら、何もやらずにズルズルと過ごし続け、その内にいつしか塾の事など忘れて、やめてしまう.....。

そう思った僕は、意図して気合いを入れ、塾でずっと続けて来た、その活動の流れに戻りました。

塾開講以来の継続的な活動で築いた、毎日の一定以上の作業量。それは、引っ越しをする前にはすでに習慣になっていました。

けれども3週間の休止で、その感覚は失われていました。

戻ったその日には、大した作業量はできなかった事を覚えています。

けれども、その日から又、継続的な毎日の作業を始め、しばらくしたら、以前の様に一定以上の作業量をキープする様になっていました。

そして、引っ越し前にあったいくつかの「宿題」も片づけ、念願だったメルマガの執筆と配信も始める事ができました。

まだまだ、これからです。

でも、「その道を歩む者の感覚と意識」みたいなものは、以前よりもはるかに身について来ました。

ピアノの上達に例えて言えば、リサイタルを開いてピアノを弾き、入場料をもらう...なーんてレベルには全然なっていないけど、ま、練習曲ぐらいは弾ける様になったんだゼ....みたいな。

そんな僕はつい数日前に、

「ネットビジネスこそが、近未来の僕の本業だ.....」

という意識でいくのだと決め、

これからはもっともっと、フォーカスして熱心にやっていこう....と決めたばかりです。

今回のメルマガ「僕のネット歴(僕のネット無歴)」は、長い長い記事になりました。

東郷さん、ここまで読んで下さって、本当にありがとうございました。

じゃア、又すぐに書きますね。

お元気でいて下さい。さようなら。

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