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お元気でいらっしゃいましたか? こんにちは!セイブンです!今回のメルマガは「音楽の話題IROIRO(いろいろ)」と いうタイトル/テーマで、その名の通り、音楽の話題をいろいろお 届けします。 僕は中学生の時にビートルズの音楽に目覚めまし た。そしてビートルズの音楽を演るバンドを同じ学校の仲間と組み ました。僕の担当は歌とハーモニカ。友人達を集めてコンサートも 開きました。 それから家の都合でイギリスに移って住んでいる 間に、ある人の引っ越しを手伝い、お礼にお古のギターをもらいま した。 2年位して日本に戻って来て、高校生活が始まりました 。文化祭で歌い、演奏するバンドで、歌とベース・ギターを担当し ました。 3年間の高校生活。毎年の文化祭で歌い演奏する為に 、毎年バンドをつくって参加しました。だから、合計で3つのバン ド....のはずなのですが、なぜか4つのバンドでのステージを 思い出します。 高校1年生の時のバンドでは、クイーンとセッ クス・ピストルズ、キッスをコピー。 2年生の時のバンドでは 、RCサクセションとセックス・ピストルズ、そしてトム・ロビン ソン・バンドをコピーしたと思います。 3年生の時のバンドで は、ストラングラーズ、セックス・ピストルズ、シド・ヴィシャス をコピー。 いつ演ったのかよくわからないバンドでは、ビート ルズの歌ばかりをコピーしました。このバンドではベース・ギター は弾かず、歌だけだったのを覚えています。 そして高校を卒業 して、大学へ。 バウハウスという、イギリスのグループの曲を 演るバンドをつくり、大学祭だか学園祭だかに参加しました。この 時も僕は楽器は演らず、歌だけでした。 レコードになっている 様な、既成の曲をコピーして演るバンドは、これで終わりだったと 思います。 そのあと、オリジナル曲を演るバンドを、仲間達と つくりました。 ギターの担当だった桜井君。そしてドラムス担 当だった小野寺君。この2人が書いた曲を、主に演っていた... と記憶しています。 僕は楽器は演らず、担当は歌だけでした。 ベース・ギターは、その担当のメンバーが弾いていました。4人編 成のバンドでした。 そしてそのバンドが自然消滅した後、僕は フリー・ミュージックのバンドを始めました。 始めた...と いうか、気がついたらやっていた...というか(笑)。 フリ ー・ミュージックというのは何なのかと言うと、あらかじめ歌う内 容や演奏する内容を決めず、その場の思いつきや偶然で歌い、演奏 する音楽の事です。 日本語で言えば、即興演奏...という言 葉が一番近いですね。 ただ、僕のそのバンドは、即興音楽に加 えて、即興演劇みたいなのがかなり入っていました。 とにかく 、すべて自由にやろう!というスタイルのステージ。 だから、 基本的には、固定メンバーもいませんでした。 とは言っても、 僕のバンドですから、僕自身はもちろん、いつもいます。 いや 、僕のバンドであろうとなかろうと、このバンドは、僕がいなくて は話になりませんでした。 と言うのも、自分自身を自由に表現 する....というのは、誰にでも簡単にできる事ではないんです ね。 それなりの資質がある上で、人前で自己表現をする事に慣 れていないと、実際にはなかなかできない。 だからこのバンド も結局は、僕が好き勝手をやって、それを楽器の演奏者達がバック アップする...という形でだけ成立していました。 誰でも、 何でも、好き勝手にやっていいバンドだったんですよ。 ライブ ハウスか何かで演奏している真っ最中に、お客さんの中に楽器がで きる人を見つけたりする。 そうすると、「一緒に演りましょう !」と即、ステージに招待する。そういうバンドでしたから。 別に、楽器もできず、歌も歌えなくたってよかった。ステージに上 がって、何もせずに突っ立っているとか、ヘソを出して笑っている とか、何でもよかったんです。 でも、何でもやっていい!と言 われて、何でもできる人が、実際問題として、僕しかいなかった。 これは事実です。今この記事を書いていて、初めて気がつきま した。 そんな事、全然考えなかった。 ただ面白がって演っ ていたから。 すでに書いたその理由により、僕のワンマン・バ ンドにならざるを得なかった、そのバンドでした。 けれども、 ドラムス担当の小野寺君だけは、ステージごとに、いつもいました 。 この小野寺君とは、オリジナル曲を演っていたバンドでも一 緒でした。そして僕達ふたりは、とても仲が良かったんです。 彼は優れたミュージシャンでもありました。だからこそ、僕がステ ージで好き勝手をやりまくっていても、バンドの演奏をひとつにま とめる事ができたんです。 このバンドのステージが、ヴィデオ の映像として残っています。 若き頃の、青春の思い出(笑). ...。 客席に座っているお客さん達を前にしての、ライブハ ウスでのステージは、繰り返し演りました。 でもそれだけでは なくて、僕は路上でも歌い、演奏しました。 今の今まで、忘れ ていましたけど(笑)。 こうして書いていると、ひとつずつ、 少しずつ、思い出すんですね。 僕が仲間達と一緒に路上で歌い 、演奏していた頃には、ストリートライブなどという言葉はなく、 そんな事をやるのがファッションになってもいませんでした。 今だったら、路上で歌い、演奏している人達なんか、都心に行けば 、いくらでもいますけどね。 僕はふたりの仲間達と一緒に、新 宿駅東口の前で、トリオで演っていました。 ひとりがギターと 歌。もうひとりがギター。そして僕の担当は、歌とボンゴでした。 ボンゴって、知ってますか? 皮の張ったタイコがふたつセ ットになっていて、手でポコポコ、パカパカ叩いて演奏する楽器で す。 敬愛する「頭脳警察」という日本のバンド。そのバンドの ドラムス/打楽器奏者、石塚敏明さん。 その彼(通称「トシ」 )の影響で、僕はお茶の水でボンゴを買い、路上で叩きながら歌っ ていました。 僕にとってお茶の水というのは、ズバリ、楽器店 がたくさんある街でした。 今も多分そうだと思いますが、もう 30年以上もこの街を訪れていないので、確かな事はわかりません 。 そうやって、ライブハウスや路上で歌い、演奏する以外にも 、僕はひとりで曲を書いていました。 書いた曲は、ギターを弾 きながら歌い、カセットテープに録音していました。 ほとんど の曲はそもそも、ギターを使って作曲していましたから、完成した 曲をそのまま録音していた訳です。 一体、何曲ぐらい書いたの か。 千曲はなかったと思いますが、数百曲は書きました。五百 曲ぐらい書いたかも知れません。 今でも歌える位に、印象に残 っている曲もいくつもあります。 自分で書いた、自分でも大好 きな歌。それはまるで、自分の一部みたいに感じられます。 正 確に言えば、僕の内面を映し出している鏡みたいなものですね。 つらい時、苦しい時、悲しい時。 うれしい時、楽しい時、幸 せな時。 いつも、気持ちを言葉とメロディーにして、曲を書い て歌っていました。 それでどれほどに癒やされ、力づけられて 来たかわかりません。 僕にとっての作曲。それは、自分自身の 内面を見つめ、自分自身と向き合い、語り合う事でした。 のち に、友人から多重録音機を譲り受けました。 自分ひとりでいく つもの楽器を演奏して歌っている録音。そんな音源が今でもたくさ ん残っていますが、それは全部、この多重録音機を使って録音した ものです。 コーラスも、自分ひとりで何回も歌った歌声をひと つに重ねて録音しました。 この録音の作業は、ものすごく楽し かったです。 今でも覚えているのは、ある日の朝に、その録音 を始めた事。 ハッと気がついたら、もう夜になっていた。 一日中、夢中で音楽の録音をしていて、窓の外の事なんか全然見て いなかったんですね(笑)。 本当に、この日の事は、録音の作 業以外、一切覚えていません。 それほどに熱中して打ち込み、 音だけにフォーカスしていました。 僕はそれができる人でした 。 音の感性が人一倍豊かだったんですね。 時々、自分自身 の事を盲目であるかの様にさえ感じていました。 自分が生きて 、生活している世界。その全体。 目よりも耳を通して、世界を 聴覚で認識し、感受していたんです。 だからそれに比べて、目 /視覚では世界がはっきりとは見えていない様に感じていたんです ね。 以前の僕は、レコードで聴き慣れた曲を思い出して、心の 中でその曲を、実際にレコードを聴いているのと同じ様に、心の中 で再現する事ができました。 今もできるかどうかはわかりませ んが。 目よりも耳。視覚よりも聴覚の人間でした。 僕の妹 は手先が器用で、僕の為にカリンバを作ってくれました。 カリ ンバというのは、音が共鳴しやすい様になっている木の箱に、鉄で 出来た耳かきみたいなのがたくさん取り付けてある楽器です。 その楽器を演奏して、それを多重録音した音源も残っています。 「音」、そして「音楽」についてやれる事は、すべてやり尽くし たんじゃないかと思います。 音楽ではありませんが、オーディ オブックもたくさん録音しました。 今でも、テキストブックを 音読しながら録音して、その録音を聴く...というやり方で勉強 しています。 音。音楽。言葉。この3つは、僕にとって感覚的 に同じものである部分が大きいのです。 ここまでに書いたのは 、僕がまだ日本で生活していた頃の話です。 アメリカに生活の 拠点を移してからも、ベース・ギターやギター、ピアノ、ハーモニ カ、オルガンなどを演奏し、人前で歌う機会が多くありました。 時にはバンドで。そしてひとりで。 そうやって人前で歌を歌 い、音楽を演奏する事を通じての出会い。 それが、その後の僕 の人生を大きく変える、重要な出来事となった。 そんな事も、 何度もあります。 何てったって、ずっと一緒に暮らしている僕 の妻だって、出会いはそれ。初対面の時には、僕の歌と音楽の観客 だったんですから。 音楽。目には見えないけれども、僕の人生 に多大な影響を及ぼし続ける、この不思議なもの。音楽。 この 不思議なもの・音楽を、僕はこれからも一生愛し、これからもずっ と歌い、演っていきます。 今日のメルマガは、「音楽の話題I ROIRO(いろいろ)...」というテーマ/タイトルでお届け しました。 最後まで読んで下さって、本当にありがとうござい ました。 楽しんで頂けたなら、うれしいです。 書いている 僕自身は、書きながらうんと感動してしまいましたよ、自分でも。 マア僕は直情感動型の人間なので、すぐに何でも感動してしま うんですけどね。 じゃア、又すぐに書きますね。 お元気で いて下さい。さようなら。
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