お元気でいらっしゃいましたか?
セイブンです!
「ウルトラセイブン!」のセイブンです。
今日もメルマガをお届けしたく、こちらまでお伺いしました(笑)。
それは冗談ですが、そんな気持ちで今日のメルマガもお届けします。
お宅の玄関先までお伺いしている様な。そんな気持ちでね。
さて、今日のメルマガのタイトルは「コロラドの思い出」です。
僕はコロラドの田舎に住んでいました。
Durango。Mancos。Cortez。
互いに隣り合ったこの3つの町が、僕の主な生活領域でした。
ロッキー山脈に四方を囲まれた地域です。
僕はこの地域が大好きで、死ぬまでそこで暮らせたら幸せだと思っていました。
田舎過ぎて、高速道路もありません。
のちにカリフォルニア州のサンディエゴに移るまで、僕はアメリカの高速道路というものを全く知らないで過ごしていました。
田舎だけに、のんびりしていました。
その辺を歩いているだけで友達ができました。
今住んでいるサンディエゴでは、考えられない事です。
Old Mancos Innという宿屋がありまして、僕はよく長期でそこに泊まっていました。
その近くに住んでいる友人・ボブの好意で、彼が長く家を留守にした時には、そこに泊まっていました。
さらに別の友人・クリスティーンの家に泊めてもらっていた事もあります。
このふたりは両方とも、いい友達でした。
さらに別の友達・ジャナの家にも、しょっちゅう遊びに行っていました。
Vinceという友人もいて、彼はDorolesという町に住んでいました。
Aceという友達は、ニュー・メキシコ州のファーミントンという町に住んでいました。
別の州ではあっても、そんなに遠くはなかったんです。
思い出せば、友達がたくさんいましたね。コロラドでは。
友達の友達は、みな友達だ!ってあるじゃないですか、テレビで。
それ、現実だったんですよ、僕の生活の中で。本当にね。
今思い出すと、余りリアリティーがありません。夢でも見ていたんじゃないのか?みたいな感じ。
楽しい楽しい、楽しい生活でした。
友達のひとりに、ある美しい若い女性がいました。マリアという名前でした。
彼女とは、Valley Innという老人ホームで知り合いました。
僕はよくそこで、ご老人達の為に歌い、演奏していたんですね。
彼女はそこの職員でした。
初対面の印象を、今でも覚えています。
輝くばかりに美しい、ラテン系の女性。ニッコリ笑ってて。
何て素敵な女性!輝く太陽の光みたいな人!何て魅力的な人!
「魅惑的」ではなくて、「魅力的」。
このふたつ、言葉の上でどう違うかと言うと、「魅惑的」っていうのはちょっと怪しさが入ってる。でも「魅力的」は、怪しさがない。
僕の前に笑顔で立っていた彼女は、健全な魅力でいっぱいでした。
僕は当時、独身でした。それでごく自然に、「僕と...どうかな?」と思って。でもすぐに打ち消した。
何を夢見てるんだ、オマエ!こんな笑顔の素敵な美人が、オマエなんかと!そんな訳ないだろ!
自分自身だけに聞こえる、声にならない心の声で、そう自分自身に告げた僕でした。
その時・その瞬間の事を思い出すと、今でも信じられない思いになります。
太陽の様に輝くばかりの、その美しい女性。彼女は今、僕の妻です。その出会いののちに、成り行きに導かれて結婚しましたから。
彼女以外にも、クリスティーンという別の女性が友達だった事はすでに書きましたね。
この女性は、日本に長くいました。
ティーンエイジャーの頃から、日本に憧れてて。それで結局、日本で長年生活する事になりました。
夢をかなえた訳ですね。つまり。
日本語も真面目に勉強したので、かなり流暢にしゃべれました。
ところが日本は日本でも、住んでいたのが大阪だったので、この人の覚えた日本語も大阪弁。
イタリア系アメリカ白人の彼女が大阪弁であれこれしゃべるのは、今思い出してもちょっと不思議な感じでした。
この人との出会いというのが、これ又何とも奇妙なものでしたね。
ここでその話をちょっとしましょう。
僕が初めてアメリカを訪れたのは、2週間ほどの旅行でした。
その旅行にギターを持っていって、デュランゴという町の大通りでギターを弾いて歌っていたんです。
そもそもが洋楽ファンの僕。だからソラで覚えていて、そんな時もとっさに歌える多くの歌は英語。
でも別に、英語の歌だけを歌う!と決めた訳でもないので、日本語の歌もそのレパートリーの中にはありました。
坂本九の「上を向いて歩こう」が僕は好きで、よく歌っていた。
その時も大通りの道角に立って、「上を向いて歩こう」を歌ったんですね。他の英語の歌と一緒に。
歌いながら、そのあたり一面が常に僕の視界に入っていました。
それで見るともなく、見てたらね。
ひとりの白人女性が目に入った。
道を隔てて、ちょっと離れた向こうから来る。僕の方に向かって、その人が歩いて来るのが見える。
でも方角的に「僕の方に」向かって歩いてるだけだ...そう思った。
そりゃそうですよ。初めて来たアメリカの、初めて来た町です。知ってる人なんか、誰もいない。
僕の方に向かって歩いて来るその人も、僕を素通りしてどこかに行くんだろう...という位に思った。
でも何だか妙に僕の事を見て、僕を目指して歩いている様な感じだったんですよ。だから「変だなア...」とは感じたんですけど。
気のせいだ...と。理性で思った。
でもその人、歩き通して僕の真ん前まで来て。そこで止まりました。
そして訊くんです。「日本人?」
日本語で、そう訊くんです。Are you Japanese?って英語で訊くんじゃなくてね。
それが、クリスティーンでした。
すぐにその場で友達になって、その夜にはもう家に遊びに行く事になった。
それで予定通り、その夜に遊びに行って。いろいろ話しました。
そしたらね。ずっと日本に住んでいたんだけど、事情でアメリカに戻ったばかりだったんだって。
でも、大好きな日本。恋しくて恋しくて、「ホームシック」だった。
面白いでしょ。アメリカで生まれ育った白人女性が、日本に「ホーム・シック」だったなんて。
でも彼女、大好きな日本の事が忘れられない。日本・日本...と思いながらアメリカで過ごしていた。
ところがある時、近隣の町の大通りを歩いていたら、オヤ?日本語の歌が、どこからか聴こえて来る!
余りにも日本が恋しくてホーム・シックで、ワタシ精神がおかしくなったの?
その時彼女は、そう思ったそうです。
でもそれは、僕が歌っている歌だった。
それでうれしくて、その歌っている人を目指して真っ直ぐに歩いていった....と。そう話してくれました。
で、さっきも書いたけど。友達の友達はみな友達...の世界ですから。
この女性と友達になって。それで彼女の友達を紹介してもらったら、それが僕の新しい友達になる。
その新しい友達に紹介された人も又、さらに僕の友達になって。
そうやって、のちに僕の妻になった彼女とも巡り合ったんです。
愛称が「エース」という、アメリカ原住民(いわゆるインディアン)・ナヴァホ族の友人もいました。
本名は、ジョンソン・ヤジー。
コロラドのその地域一帯は、元々そのナヴァホ族の土地でした。
ちなみにアメリカ原住民は、何万年もの間アメリカ大陸の全土に広がって住んでいました。
ヨーロッパから渡って来た白人達に土地の大半を掠奪された今も、アメリカ原住民はアメリカ大陸全土に散らばって住んでいます。
僕の友達・エースもそのひとりでした。もうずいぶん前に、音信不通になってしまったのですが...。
僕達は本当にいい友達でした。しょっちゅう、つるんで街を歩いていました。
その頃の写真がたくさん残っています。
こうして書いていると、懐かしくて胸がいっぱいになります。
もう死んでしまった友達もいます。
ヴィンスという友達は、ガンで死んでしまいました。僕がまだ、コロラドにいる頃に。
ヴィンスは、最後のヒッピーでした。
彼と過ごすのは、とても楽しかった。
コロラドのド田舎であるその地域には、まだヒッピー的な空気がたっぷりと残っていたんですね。
今はもう、消えているはずです。
ギリギリの、最後。それがすっかり消えてしまう前に。まだ残っていた「変化と躍動の時代」の空気を味わう事ができて、僕は幸せだったと思います。
今回のメルマガで、ここまでにご紹介して来たコロラドの友人達。
そういう友人達がみな、僕と妻の結婚式には来てくれました。
その様子がすべて、一本のヴィデオテープに収められています。
そのヴィデオテープは僕の大切な宝物です。
アメリカ原住民=ネイティヴ・アメリカン(いわゆるインディアン)のダンサー/ミュージシャンであるケヴィン・ロックが地域に来た時には、一緒に山を歩きました。
あるイベントに参加する為にその土地を訪れていた彼を、誰かが僕と妻に紹介してくれたんですね。
山歩きの途中でひと休み。そこでケヴィンが歌い、次に僕が歌いました。目の前の谷に向かってね。
僕が歌ったのは「おお詩人よ夕べが迫って」という歌です。
インドの詩人であり著作家であるラビンドラナート・タゴールの詩。
その詩に、僕の敬愛する日本のミュージシャンである中村治雄さんがメロディをつけて曲にしたものです。
彼の歌。そして僕の歌。ふたりの歌、ふたつの歌が谷間に響き渡った。
その事が、まるで今起きている出来事であるかの様に、心の中でイキイキとよみがえります。
このケヴィン・ロックの歌と踊りは、Youtubeでも観賞できます。
“Kevin Locke”で検索して見て下さい。
(同姓同名の関係ない別人もいますので、彼の部族であるLakotaを名前の後に入れて下さい。又はDancerと入れれば、ケヴィン本人のヴィデオが出て来ます)
四方をロッキー山脈に囲まれ、大自然の豊かな恵みに満ちた環境で日々暮らした。コロラドでの生活。
いくら書いても書いてもキリがない....。思い出は後から後から、よみがえって来ます。
いろんな出来事がありました。
そして何があろうとなかろうと、そこにいるだけで僕は幸せでした。
あんなにも充実して、毎瞬毎瞬が満ち足りていた。あのコロラドの日々。僕は心から感謝しています。
という訳で、今回お届けしたメルマガの記事は「コロラドの思い出」でした。
最後まで読んで下さって、本当にどうもありがとうございました。
それじゃあ、又すぐに書きますね。
どうぞお元気でお過ごし下さい。
さようなら。セイブンでした。
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