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こんにちは!セイブンです。 お元気でいらっしゃいましたか?いつも僕のメルマガを読んで下さって、本当にどうもありがと う。 今日も読んで下さい(笑)。 それはひと言、余計でし たが.... 喜んで読んでもらえる様な、読む人をグイグイ引 きつけ引き込む内容になればうれしいナ...と思います。 さ て、今日のメルマガの記事は? 今日のメルマガのタイトルは「 ピアノ・ライヴの日々」です。 記事の内容は、タイトルの通り 。 僕はピアノ・ライヴを毎月、2年間ぐらいやっていたんです ね。 「2年間ぐらい」というのは、マアそんなもんだったかナ ...というだけなのですが、とにかく毎月やってました。レギュ ラーでね。 僕はアメリカに20年ほど住んでいまして、仕事も 全部こちら。 一番最初は、コロラドの田舎の町でアメリカ暮ら しを始めました。 ここ17年は、カリフォルニア州のサンディ エゴに住んでいます。 で、El Cajonという町が地域に あるんですが、そこで働いてました。 老人の為の、総合医療福 祉施設...みたいなところ。 クリニックがあって、フィジカ ルセラピーもあって、デイセンターもある。食事も出る。送迎車も ある。職員には、運転手達もいる。 日常生活を送れる位に健康 な人であれば、何でもお世話しますヨ....そんな感じの総合施 設でした。 その施設で僕は、介護の仕事をしながらミュージシ ャンもやっていた。 デイセンターに朝来て、一日過ごして夕方 に帰るご老人達。 その方達の為の、娯楽の一環として。 備 え付けのピアノがあったので、それを使っていました。 マイク スタンドを、ピアノの椅子のすぐ近くに立てて。 ピアノを弾き ながら歌っていた。 ピアノを弾きながらハーモニカを吹き、か つ歌う....という事もやっていました。 「ピアノ・マン」 という曲、ご存じですか?ビリー・ジョエルという人の。 ビリ ー・ジョエルはこの曲を、ピアノを弾きながら(首に下げた)ハー モニカを吹き、かつ歌うんですね。 僕はこの曲もやってました 。ビリー・ジョエル本人と同じスタイルで。 ただしピアノ演奏 はかなり簡略化して。 僕はピアニストじゃないんです。 ピ アノはただ、歌の伴奏の為。 基本的な事だけしか、できない。 誰かピアノが上手な人が、僕の歌の伴奏にピアノを弾いてくれ ればね。 そしてたら僕はただ歌ってられたんだけど、そういう 人がいなかったから自分で弾いてたんです。 マア、それもそれ で楽しかった。 いい思い出です、今となっては。 職場が変 わったんで、そこでのライブもそれっきりになってしまった。 話を戻しますが、そこでよく取り上げる曲というのがありました。 ビリー・ジョエルの事をさっき書いたんですが、僕はこの人の 「Always A Woman」という曲が好きで、よく歌って いました。 ビリー・ジョエルの曲ばかりを歌っていた訳じゃな いんですけど、その「Always A Woman」、そしてハ ーモニカの入る「Piano Man」の他にも、「Honest y」「Just The Way You Are」とかがレパー トリーに入っていました。 ビリー・ジョエル以外でよく歌って いたのは、やっぱりビートルズかな。 「Let It Be」 「Til There Was You」「When I’m S ixty-Four」「Hey Jude」「With A Li ttle Help From My Friends」「Mis ery」などなど、歌っていました。 「I Should H ave Known Better」なんていうのは、これも歌の 中にハーモニカの演奏が入る曲でね。 ピアノと歌とハーモニカ 。ひとり三役で、歌い演奏していました。 リクエストをもらう 事もありましてね。 エルトン・ジョンの「Candle In The Wind」という曲を歌ってくれ!という人がいまして 。 サンドラという名前で。今も覚えてますね。 それで、練 習しました。歌もピアノも両方。で、ライヴで演った。 イヤア 、そんな事もありましたね。 イギリスの女王・エリザベス2世 が死んだ時には、ハーモニカのソロで、イギリス国歌「God S ave The Queen」を演奏しました。 子供の頃から 僕が兄の様に慕っていた、日本の歌手・中村治雄さん(通称PAN TA)。 彼が死んだ時には、彼の歌「おお詩人よ夕べが迫って 」を歌いました。 歌いながら泣いちゃって、まともになんか歌 えなかったけど。 本国の日本でさえも誰も知らない様な曲です 。アメリカのご老人達が知っている訳がない。 歌詞も日本語。 歌っている言葉の意味なんかわからないでしょう。 でも僕の選 曲の基準は、「心を込められる歌を...」という事でした。 だから英語の曲であっても、その場に居合わせた誰も知らないだろ う....という曲も取り上げました。 特に僕の音楽傾向は、 イギリスの影響が大きいですからね。 例えばブライアン・イー ノなんて、アメリカでは誰も知らない。 そんな人の曲でも、歌 いました。 僕が歌うんだから、僕のハートがこもっていなけれ ば、伝わるものもない。 それが、ミュージシャンとしての僕の 思いでした。 The Kinksというイギリスのバンドの曲 、「Stop Your Sobbing」はしょっちゅう歌いま した。 僕、この曲、励まされるんです。 励まされ、慰めら れ、力づけられて癒やされる。そういう曲です。 Ray Da visという人が書きました。 ものすごく細やかな人間感情を 込めて曲を書き、歌える人です。 いつも、思い切り気持ちを込 めて歌いました。 ところで、話は変わりますが....。 まだ日本にいた頃には、日本のご老人達の為に歌っていましたネ、 僕。たった今、思い出したけど。 ギターやオルガンを弾きなが ら。 でももちろん、洋楽なんか歌わない。日本の歌曲集みたい な選曲。 それもそれで、かったんです。 けどやっぱり、ア メリカの方が演りやすい。 何てったって、「洋楽」ですからネ (笑)。 日本人の僕達からすれば「洋楽」という事になるけれ ど、アメリカの人達にとっては、母国語の音楽です。 日本人の 僕達が歌謡曲を聴くのと同じ感覚で、僕達が「洋楽」と呼んでいる 音楽を聴いて来ている。 そこに僕の様な、日本で言うところの 「洋楽ファン」が来て、ただ個人的に好きな曲を歌って聴かせる。 すると向こうでは、「オオ、慣れ親しんだあの歌、この歌。ヤ ンヤ、ヤンヤ。イイぞ。もっと演れ!」という事になる訳です。 だから僕は、断然やりやすい。 ただネ、日本の演歌に親しみ がないのと同じ様に、アメリカのカントリー・ミュージックに親し みがないんですよ、僕。 日本人にとっての演歌にあたるのが、 アメリカ人にとってのカントリー・ミュージック。 カントリー ・ミュージックを演れ!と言われたら、数曲ぐらいはマア、何とか 演れる。でもそれだけ。あとは全然ダメ。 だけど僕にはわから なくても、その国・あるいはその人ならではの「心の歌」っていう のがありますからネ。それはやっぱり、ある。 そんな、「心の 歌」の話....。 それを今回のメルマガの最後にして、終わ りたいと思います。 ある施設で、働きながら毎月レギュラーで 歌い、演奏していた...というお話を今、ここまでしました。 でもそこで働く前から、僕は職場にピアノさえあれば演奏し、歌 っていたんです。 医療介護施設でよく仕事をしていたので、施 設で生活している方達の為に歌い、演奏しました。 それで、大 変に喜ばれました。 レギュラーに演奏時間をもらっている訳じ ゃないから、演っても大丈夫そうな時だけでしたけど。 ある時 、ダンテ・アモロソというご老人が、僕の働いている施設で生活し ていたんです。 この場合は差し支えないと思うので、実名でご 紹介しますけど。 この方、イタリア系アメリカ人でした。そし て歌手のフランク・シナトラが大好きだったんです。 それを知 って、僕はフランク・シナトラの名曲「マイ・ウェイ」を練習し始 めたんですね。 それまで僕は、フランク・シナトラも「マイ・ ウェイ」も、両方どうでもよく思っていました。 だいたい、フ ランク・シナトラなんてまともに聴いた事がなかった。 シド・ ヴィシャスという人の歌う、歌詞を変えたロック版の「マイ・ウェ イ」。 僕は「マイ・ウェイ」を、それでしか聴いた事がなかっ たんです。 なので、まともな歌詞を覚える事も含めて、僕はこ の曲を練習しました。 そしてその成果あって、ちゃんと歌い演 奏できる様になりました。 そして機会を得て、ある時この曲を ご老人達の前で歌ったんです。 ダンテさんもそのひとりでした 。 で、このピアノは部屋の壁に面して設置してあったので、僕 はご老人達には背を向ける形で、ピアノを弾いて歌ったんです。 やがて歌い終わり、ピアノの前でひと息ついた僕でした。 そ の僕に、ひとりの同僚がささやきました。 あの人、泣いてるヨ 。ダンテさん。 そうなんです。フランク・シナトラが大好きだ という、そのダンテさん。 僕がピアノで歌う「マイ・ウェイ」 で感動して、泣いてたんです。 大いに感ずるところあって、そ れから僕は機会があるたびに、ダンテさんの為に「マイ・ウェイ」 をピアノで歌いました。 それから数ヶ月後ぐらい...だった でしょうか。 ある朝、ダンテさんは息を引き取りました。 病気だったのが、ついに力尽きて。 自室のベッドに横たわる彼 の体。 奇しくもその同じ朝、僕はご老人達の為にダイニングル ームで歌う事になりました。施設のピアノはその部屋にあったんで すね。 「マイ・ウェイ」を、僕は歌いました。 歌う前に、 こんな事をしゃべったのを覚えています。 「次の曲は“マイ・ ウェイ”です。この場に今いない、ある方の為に歌います。その方 は今、お部屋で眠っています。私達の友達、ダンテ・アモロソさん です。それではどうぞ。マイ・ウェイ。」 それ以来「マイ・ウ ェイ」は忘れる事のできない、僕の大事なレパートリーの一曲にな りました。 のちに職場が変わり、すでにお話した様に毎月レギ ュラーでライヴを演る様になってからも、「マイ・ウェイ」を何度 も歌いました。 「忘れられないあの歌、この歌。思い出に残る 名曲の数々を、今日もお届けします!歌謡何とかショー!」 そ んな言葉で始まるテレビの歌番組が、昔あった気がしますが... .。 でも僕には、本当にあります。 忘れられないあの曲・ この曲が。 そして心に残る、名曲の数々が。 そんな歌の数 々に励まされ、慰められ、力づけられ、癒やされ、支えられて、僕 はこれからもずっと生きていくんだと思います。 今日のメルマ ガは、「ピアノ・ライヴの日々」と題してお届けしました。 最 後まで読んで下さって、ありがとうございました。心から感謝しま す。 それでは又、すぐに書きます。 さようなら。セイブン でした。
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