東郷さん、こんにちは!
又ご一緒できて、うれしいです!
さて、今日のメルマガのお題は?
マア「お題」って言ったって、落語の演目じゃアないんですから(笑)。
おふざけはこの辺にして.....。
ガラリと雰囲気を変えて、思いっきりシリアスな話をしましょう。
今日のメルマガの記事は、僕の物の見方に大きな影響を与えた哲学者、グルジェフについてです。
マア、このグルジェフという人は、実に多才な人物でした。
深遠な意味のあるダンスの教師としても弟子達に教えていました。
同時に音楽にも造詣が深くて、弟子のハルトマンという音楽家との共作で、多くの作品を残しました。
けれども、そのダンスや音楽にも、彼が教えた哲学に基づいた深い意味が込められており、それは単なる通常のダンスや音楽ではありませんでした。
なので、このメルマガでは、彼の事を「哲学者」と呼ぶ事にします。
グルジェフは、かつてはロシアの一部であった、アルメニアで生まれました。
お父さんはギリシャ系の人で、お母さんはアルメニアの人でした。
( 両親ともギリシャ系の人だったという説も、最近はあります。)
でもマア、彼のバックグランドみたいな事は、簡単にこれだけにして置いて、哲学者としてのグルジェフについて書きたいと思います。
僕が彼の哲学に出会ったのは、多分、僕がまだ十代の頃だった...と記憶しています。
ここ20年位はアメリカに住んでいる僕ですが、その頃は日本で、まだ両親と一緒に住んでいました。
当時、家があったその小さな町の図書館に、僕はしょっちゅう行って、本をチェックしていました。
( どういう訳か、僕は幼い頃から、読書が大好きでしたから。)
コリン・ウィルソンという、僕が余り好きではない著作家がイギリスにいるのですが、その人が書いた「覚醒への戦い」という本が、その図書館にありました。
内容は、「哲学者グルジェフの人物像と、彼の教えについて」。
それが、のちに僕の物の見方を大きく変える事になる、哲学者・グルジェフとの出会いでした。
すでに触れた通り、僕はこのコリン・ウィルソンという人の書く内容自体には特に興味がありません。
けれども、この本には、グルジェフ自身の言葉が引用されていました。
ア、わかった...。その引用を読んで、セイブンさん、そのグルジェフという人に魅力を感じたのね?
とんでもない!僕は、その引用を読んで、このグルジェフという人物が、一瞬で大っ嫌いになりました。
だって、この人の哲学と来たら...。
「人間は機械だ。外部世界の影響だけで動いている機械なのだ。」
「人間には“意志”というものはない。あると思っているだけだ。」
「人間というのは“できない”存在だ。できると思っているのは、幻想で、何もできず、していない。」
ネ?ちょっと、ヒドいでしょ?
これじゃアもう、夢も希望もないっていうか....。じゃア、“人間なんてやっていてもしょうがないから、死ね!”とでも言うの?
そう思って、その断定的な言葉に猛烈に腹が立ったのを覚えています。何を根拠にして、そんなバカな事を言うんだ、このヤロー!と。
そしてもう、それ以上は読まず、いつかその本の事は忘れました。
....それから、何年位経ったのでしょうか。僕は、27歳になっていました。その事だけは覚えています。
僕の人生は、どん底でした。
特に、精神的に。生きる意味も希望も、すべて失っていました。
何故、そんな状態になったのかという話は、改めてしたいと思いますが、その当時の僕の心の中は、苦悩と無気力でいっぱいでした。
そんなある日、僕は本屋で、一冊の本を手に取ったのです。
本のタイトルは、「奇蹟を求めて」。
ただしそれは、最初にその本が出版された時に出版社が勝手につけたタイトルで、原題は「知られざる教えの断片」だったのですが。
著者は、P.D.ウスペンスキー。
哲学者・グルジェフの言葉を、世の中に紹介した第一人者でした。
何年も前に読んだ本の中で紹介されていた言葉。当時、猛烈に腹が立ったその言葉も、この本が原典でした。
かつて図書館で読んだ、グルジェフの言葉が引用された本は、余り内容のある本ではありませんでした。
グルジェフについては、その後、それよりもずっと中身のある他の本でも読み、もはや彼に怒りも感じず、共感さえ覚えていました。
本屋で手に取ったその本を僕は立ち読みし始め、大いに感ずるところあって、その場で買いました。
当時の僕は、小田急線・狛江駅が最寄りである町に住んでいましたが、その本屋は、同じく小田急線の向ヶ丘遊園という駅の近くにありました。
自転車でその本屋に立ち寄った僕は、自転車の前カゴに、買ったその本を入れて、自転車を押して歩いていました。
自転車なのだから、漕いで走ったと思いますが、覚えているのは、押して歩いていた場面だけです。
すでに書いた通り、当時の僕は精神的にドン底でしたが、この本を買って店を出て、自転車を押して歩きながら、何か新しい希望の様なものを心に感じていました。
著者のウスペンスキーという人が、大変、文章に優れていた....という事もあり、その本で読む哲学者・グルジェフは、とてもリアルに感じられました。
著書の多くの部分を占める、ウスペンスキーの記録によるグルジェフの言葉。読んでいると、それはまるで、本の中から僕に話しかけている様にさえ感じられました。
その本を読んでわかりました。
グルジェフという人は、人間愛から語り、教えた人だったのです。
世の中には、歯の浮く様な、見え透いたきれい言ばかりを並べ、口にするけれども、本当は他への愛などない人がいくらでもいます。
グルジェフという人は、その逆でした。例え、ギョッとする様な事実であっても、とにかく人間についての事実そのままを知って、そこから、何が出来るかを考えよう....というのが、彼の本意でした。
その本で彼の言葉を読んでいると、彼が実際にそこにいて、僕に直接話しかけている様に感じる....。
先ほど、そう書きましたが、それだけでなく、僕はグルジェフが、本の中から僕の事をジッと見つめている様に感じました。
著者のウスペンスキーによる、詳細で的を得た描写を読みながら、僕はグルジェフという人物を、リアルに体験していました。
ちなみに、彼の言葉に初めて触れた時に感じた怒りについては、当のグルジェフ自身が、その著書の中で見事に説明していました。
しかし、君が誰かに「あなたは何もすることができない」と言っても、誰も信じはしないだろう。
それは、君が人々に言うことの中で最も侮辱的で不快なことだ。
それが特別不快で侮辱的なのは、それが真実だからで、そして誰一人、真実を知りたいとは思っていないのだ。
(P.D.ウスペンスキー著、平河出版社刊. 「奇蹟を求めて」より.)
「大っ嫌い」だった哲学者・グルジェフは、自分ではどうにも出来なかった僕の人生を、その哲学で変えてくれた恩師となりました。
彼の著書で読んだ、深い人間洞察に満ちた数々の言葉。
それに力を得た僕は、その同じ年に、自分の人生を変革すべく、思い切った行動を起こしました。
その思い切った行動がなかったなら、今現在のアメリカ生活も含めて、その後の僕の人生は絶対になかった....。今でもそう、断言できます。
言葉って、本当に人の人生を変えてしまう事ができるんですよ。
僕の人生は、その生きた証拠です。
今日お届けした、僕のメルマガの記事は、精神的にドン底だった僕に新しい力を与え、それによって僕の人生を変えてしまった哲学者・グルジェフの話でした。
それでは、又すぐに書きます。
東郷さん、元気でいて下さいね。
Nice share!
Nice share!