お元気ですか。セイブンです。
今日もメルマガ、お届けします。
今日のメルマガのテーマ/タイトルは、「パール・ジャム」です。
パール・ジャム(Pearl Jam)って知ってますか。
アメリカのロック・バンドの名前ですよ。
中心人物は、ヴォーカルとギターと作詞作曲のエディ・ヴェダー。
僕がパール・ジャムの音楽を初めて聴いたのは、まだ日本に住んでいた頃でした。
FEN、つまり駐留米軍放送のラジオで聴いたんだったと思います。
FENというのは、Far East Network(極東放送ネットワーク)の略称。名前が変わった...という様な事を聞いた気もしますが、事実は不明です。
この米軍ラジオを僕はしょっちゅう聴いていたのですが、ある日、何とも言えない不思議な歌を耳にしました。
それがパール・ジャムの曲、「Better Man」でした。
その作風は昔懐かしい雰囲気がいっぱいで、かつてのロック全盛期の一曲であるかの様でした。
でも昔の曲では全然なくて、それは新作だったのです。
その曲は、よくかかりました。
最後にはテープ・レコーダーで録音して、いつでも聴ける様になりました。
パール・ジャム(Pearl Jam)というバンドの曲だと知ったのも、ラジオでそう紹介されたからだったんじゃないかと思います。
そしてもちろん、曲名も。
パール・ジャムについては、メディアを通して何となく情報が伝わって来てはいましたが、あくまでもボンヤリしたものでした。
そんなある日、テレビでパール・ジャムの音楽ヴィデオとインタビューのヴィデオを観ました。
ヴィデオの曲は「Even Flow」と「Spin The Black Circle」だったと記憶しています。
特に「Even Flow」のヴィデオは、パール・ジャムのライヴをそのまま録画したもので、生々しくてエキサイティングで最高でした。
ライヴの熱気がじかに伝わって来る様な感じのヴィデオでした。
そして、インタビューのヴィデオ。
すでにご紹介したバンドの中心人物エディ・ヴェダーの事以外は覚えていません。
彼ひとりへのインタビューだったんじゃないかと思います。
そのインタビューで観たエディ・ヴェダーがこれ又好青年で、感じがよくて....。
思いっきり好印象を残しました。
それでもまだ、CDを買って曲をもっと聴こう!という事にはなりませんでした。
ラジオで数曲聴いて覚え、テレビで音楽ヴィデオを数曲観て曲を覚えて、それでおしまい。
本当に「パール・ジャムに出会った!」という体験をしたのは、それからずっと後の事でした。
ある日CDレンタルショップで、パール・ジャムのファースト・アルバムを借りて来て聴いたんです。
それはそれは不思議な音楽世界でした。
そう。音楽で出来たひとつの世界がそこにあって、その音楽を聴いている時には僕はその世界にいる。
そんな印象が、今でもよみがえります。
カセットテープにダビングして、繰り返し繰り返し聴き始めました。
やがて、他のアルバムも聴く様になり、僕は立派な「ファン」になっていました。
パール・ジャムの音楽が、心の支えでした。
毎日毎日、毎週毎週、毎月毎月。彼らの音楽を聴いていました。
パール・ジャムの音楽は、それ自体がひとつの見えない心の世界だ...。
そんな事をさっき、書きましたね。
僕はその彼らの世界、音楽で出来た世界に住んでいたんです。
今になって振り返って見ればね。
バンドのメンバー達の事は、一緒に住んでいる仲間達か何かの様に感じていました。
バンド自身がスタジオで録音したアルバムだけではなくて、誰かがバンドのライヴを勝手に録音してCDにして売っている様な「怪しい」CDも買って聴きました。
それもすごく、良かったんです。
僕はそのパール・ジャムの音楽を通して、アメリカという国の存在を感じていました。
それまでは、アメリカという国をイキイキと感じる事なんか、全然なかったんですね。
自分にとってはどうでもいい国だと、ずっと思っていましたから。
でもアメリカ人であるエディ・ヴェダーと(音楽を通して)心をひとつにする事で、アメリカに生きる感覚を形成していったんですね。
マアもちろん、心の中・イマジネーションの中だけの事...と言えばその通りだったんですけど。
でもそれがなかったら、今現にアメリカに住んでいる僕はいなかったんじゃないかと思います。
僕がアメリカという国を身近に感じる様になったのは、あくまでもパール・ジャムの音楽を通してでしたから。
ファースト・アルバムから5枚目のアルバムまで、みな最高でした。
5枚目のアルバムまでは、その独自の音楽世界がありましたから。
初めてのアメリカ旅行でも、ライヴ・ヴィデオを買って帰りました。
バンドが2度目に日本に来た時は、武道館に観に行きました。
(初来日の時には僕はパール・ジャムなんて知らなかったので、行きようがありませんでした)
エディ・ヴェダーがステージに登場して「オー.........」と歌い始めただけで、僕はもう胸がいっぱい。
精神的に大変だった日々を、僕はこの声に力づけられて過ごしたのですから。
この時は当時のニュー・アルバム「Riot Act」の発売に合わせて、ツアーで日本にも来たのでした。
この「Riot Act」というアルバムは、パール・ジャムの7枚目のアルバムです。
先ほど書いた様に、ファースト・アルバムから5枚目のアルバムまでは最高だったパール・ジャム。
でもそれ以降のアルバムは「最高!」とまではいかなくなりました。
けれどもこの7枚目のアルバム「Riot Act」は、繰り返し聴いたおかげでそれなりに親しみを持ちました。
ちなみに僕が観たライヴのステージでは、もちろんこのアルバムの中から多くの曲を演りました。
なので、繰り返し聴いて慣れ親しんで置いて、やっぱり良かった....と思っています。
その為に何度も聴いたのですから。
僕が観た武道館のライヴは、とても長かった。3時間位は演ってたと思います。
余りにも延々と演っているので「もうやめろ」と言わんばかりに客席の電気が点いても、まだ演っていましたからね。
その意味では、サービス満点。
その夜の全ステージを収録したライヴ・アルバムが出ていますので、このメルマガを書き終わったら聴いて見たいと思います。
そのライヴは、僕が初めてアメリカに行った旅行のひと月後でした。
その翌年から僕は、日本とアメリカで交互に過ごす生活を始めました。
そしてその2年後には、アメリカに移住。コロラド州の田舎町・コルテズで1年半ほど暮らしてから、カルフォルニア州のサンディエゴに移りました。
その時には全然知らなかったんですけれども、パール・ジャムの中心人物であるエディ・ヴェダーはサンディエゴの出身だったんですね。
エディ・ヴェダーはどこそこの薬局で働いていたんだ!とか、どこそこの学校に通っていたんだ!この地域に住んでいたんだ!みたいな事をいろいろ聴きます。
もちろんどれもすべて、実際によく知っている場所ばかりです。
何だか今でもちょっと、信じられない思いなんですけれどもね。
東京の、小さなアパートの部屋の中。米軍放送のラジオで聴いていた、パール・ジャム。エディの歌。
誰が歌っているのかも知らなかった。
その僕が今は、エディ自身の育ったアメリカの街に住んでいる。
人生って、本当に不思議です。
何があるか、全然わからない。
さて、それでは今回のメルマガはこの辺でおしまいにしましょうか。
先ほど書いたパール・ジャムの武道館ライヴのオーディオを、このあと聴いて見たいと思います。
その夜のステージが僕の中でよみがえるのが、今から楽しみです。
という訳で、今日のメルマガ。
アメリカのロック・バンド、パール・ジャムについての記事でした。
今日も最後まで読んで下さって、本当にありがとうございました。
それじゃア、又すぐに書きます。
どうぞ体に気をつけて。お元気でいて下さい。
さようなら。セイブンでした。
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