突然ですが...お金の事( おっかねえ...違うって。)
こんにちは!元気ですか?
セイブンです!「ウルトラセイブン!」のセイブンです。
サア、それじゃア......さっそく!
今日もメルマガ、いきましょう!
前回のメルマガ記事は、思いっ切りシリアスなテーマでしたネ。
題して「突然だが...神はいるか?」
今回のテーマも、シリアスです。
題して「突然ですが...お金の事( おっかねえ...違うって。)」
何だ、ソリャ?
何が「おっかねえ」だ(笑)!そのどこがどう、シリアスなんだ?
ハイ、ご質問をありがとうございます。それでは、ご質問に答える為にも、さっそく始めましょう。
せっかく前回のテーマが「神はいるか?」だったから、その辺から切り口を入れて、話を始めます。
「神」と「金」。言葉の雰囲気が、全然違いますヨね。一般的には。
「神」って言えば、ホラ、「清く正しく美しく生きよう」みたいなイメージがあるじゃないですか。
信者の方達がよく、そんな事をおっしゃるのを耳にしますから。
その一方で「金」って言うと、「神」という言葉の逆で「金?そんなもん、諸悪の根源だゼ!」みたいに、悪くも言われてますよネ。
それが何か、明らかに卑しい汚いものででもあるかの様な感じで。
侮蔑的に扱われてる。あんまり、いいイメージじゃなくてネ。
そんな中でこう断言したのが、日本でもよく知られている著作家・講演者、ジョセフ・マーフィーでした。
神とお金は、ひとつのものです。
宇宙全体を成立させ、天体の運行を司っている人知を越えた精神、それを神と呼びますが、この宇宙に存在しているすべてのものは神のアイデアであり、お金も又そうです。ですから、神が全くの善である様に、神のアイデアであるお金も又、全くの善なのです。
お金は悪だ、卑しい...という考え。それは無知からの迷信であり、理に合わないナンセンスです。そんな愚かで幼稚な考えは、今すぐに一掃して捨てましょう。
お金は、身体にとっての血液の様なもの。血液が循環している身体が健康である様に、お金が循環している生活こそが健康な生活です。
貧乏に美徳などはありません。貧乏は心の病気ですから直しましょう。
....と、ジョセフ・マーフィーはキッパリと断言しているのです。
僕、この人の言う事、本当だと思うんですよネ。
僕はジョセフ・マーフィーの著作はかなり読み込んで来ています。
なので、今僕が普通に自然に考える事自体、彼の大きな影響があると思いますが、ちょっと自分自身の考え感じるところを、ここで書いて見ますネ。
お金で何をするの?という問い。
お金の善悪は、これで決まります。使う目的によってネ。
例えば、僕はアメリカに住んでますから、ピストルが簡単に手に入る。
実際問題としてそんなもの欲しくもないけど、でも入手可能です。
そこで、僕がこう言ったらどうでしょうか?
イヤな奴をやっつけてやりたいから、ピストルが欲しい!その為に、千ドルが必要なんだよ!
それは、良くないお金の使い方ですよネ。
でもそうじゃなくて、僕が実際にそうである様に、妻に豊かな生活を楽しんでもらいたいから、お金が欲しい...そう言ったとしたら?
それは愛が動機の、健全で善良なお金の使い方ですよネ。
「貪欲」「欲深」なんて、一般的には絶対にいい意味の言葉ではありませんが、僕はこう思うんです。
愛する人の為に、もっともっと貪欲になりたい!今よりもずっと、欲の深い男になりたい!ってネ。
コレ確か、以前にも書きましたが。でも本当にそう思います。
愛する人の為に、もっともっと欲しい。たくさんたくさん欲しい。
僕がさりげなくそう言える理由のひとつはネ、自分自身の為の貪欲さが本当に全然ないからなんです。
僕、お金がなくて困った事はいくらでもありますが、お金がなくて不幸だった事はないんですよ。
子供の頃からずいぶんと長い間、個人的には貧乏で過ごして来て、それでお金がなくても幸せに過ごせる名人になりましたからね。
僕自身は、お金があってもなくても幸せなんですよ。どっちでも。
だけど、そうであっても「だからお金なんかいらないヨ!」なんて思うのはバカだと思います。
だって、何をするにも必要なんですから....お金が。
お金はいらない...というのは、生きる上での選択範囲を制限しているだけの話だと僕は思いますね。
しかも、全く不必要に...です。
できる事を制限する必要なんかないでしょ。
できる事は、多ければ多いほどいい。大きければ大きいほどいい。
具体例で紹介しますが、僕はある時、貯金が5百万円ほどありました。
それは、今書いた通り「できる事」そのものだったと思います。
当時僕はまだ日本に住んでいて、でもアメリカに移り住みたかった。
それで、その為にできる事は全部やりました。
そしてその、「できる事は全部やった」という活動内容は、すべてがすべて、その貯金にサポートされていました。
お金がなければできない事を、お金を使ってやっていたんです。
もちろん、お金「だけ」でできた訳じゃないです。当然ですよネ。
目的の為に、日々熱心に考えました。身体も存分に動かしました。
何よりも精神的なコミットメントがしっかりとあったからこそ生きた、道具としてのお金でした。
けれども、その道具としてのお金がなかったら、目的に向かう事はできなかった。それも事実です。
先ほどご紹介しました、ジョセフ・マーフィーの教える「神とお金はひとつ」という事ですが、
僕はさらに、こう言いたい。
お金と心は、ひとつです。
僕が多大な影響を受けた哲学者、ゲオルギー・グルジェフは言いました。
「お金の使い方ほど、その人を現すものはない」。
コレ、本当です。本当の本当。
試しに、周囲にいる誰でもいいから、ひとり選んで、その人がお金をどう使っているかを見てごらんなさい。
この言葉が真実である事。それがすぐに、ハッキリとわかりますよ。
だってネ。例えば「愛してるヨ。本当だヨ」って口で言うのは簡単ですけど、本当に愛していなかったら、その人の為にお金を使いたくありませんものネ。
だから口では「A子チャン、愛してる。本当だヨ」と言ってても、本当にはA子チャンを愛していない...という人。その人は間違いなく、A子チャンの為には、たいしたお金も使っていません。
そもそも、誰の為にもお金を使う気なんか全然ない人。貯金するにしてもパッパッと使うにしても、いずれにせよ持ち金は全部、自分の為にだけあるのだ...という人。
その人は、どういう人なのか。
そんなの、何も言われなくたって誰でもわかりますよネ。
お金の使い方って、本当にその人の心そのもの・そのままです。
もう、恐い位に。的確でズバリ。
これはアメリカの話ですけど、Pさんという男性を知っています。
これが、金の為には何でもやる人でネ。
そしてそれは全部、自分ひとりの為。
愛する人の為に多くを求める....というのではない。言葉の通常の意味での、エゴだけの貪欲・欲深。
自身の為には徹底的にガメツくて、対外的には徹底してどケチ。
この人、素敵な奥さんがいたんですけれど、愛想をつかされて逃げられました。当たり前ですよネ。
口先だけで素晴らしいキレイ言。
でも奥さんの為にお金を使うのがイヤ。だから極力、使わない。
それどころか、奥さんのお金をごまかして自分のものにしていました。
この人の事だけは、書いていて僕自身がイヤになります。でもわかりやすい実例として書きました。
不思議に思います。そんなの、何の意味があるんだろう...って。
人を踏みにじりまくってでも、どんなに卑劣であさましい真似をしてでも金を...という長年のコミットメントのおかげで、この人、今は結構な資産家になっています。
全然、羨ましくありませんけど。
又ジョセフ・マーフィーの言葉に戻りますけど、彼がこう言うんですね。
金がすべてだ、それ以外はどうでもいい...。そう思ってひたすらにお金だけを求めるならば、あなたはお金を手にする事ができます。
でもそんな事をすれば、精神的なバランスは確実に崩れます。そして結局のところ、自分が欲しかったのはお金だけではなかった事がわかるでしょう。
愛。生きる喜び。充実した人間関係。安らぎ。そんな心の富の一切も、あなたは欲しかったのではないでしょうか。
心というものの働きを知り、活用すれば、あなたは欲しいだけのお金を得る事ができます。そしてその上に、愛も喜びも安らぎも、生き甲斐ある人生に必要なものはみな、手にする事ができるのです。
Pさんも、それに早く気づく事を祈ります。
今日のメルマガは、「突然ですが...お金の事( おっかねえ...違うって。)」というタイトルでお届けしました。
いい話だったでしょ?
今日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。
ご感想・コメント・ご意見・リクエスト。何でもひと言。ふた言。
いくらでもどうぞ。
お待ちしてます。
それでは、又すぐに書きますね。
お元気でお過ごし下さい。
さようなら。セイブンでした。
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